あの世銀行

温厚な老婦人、昌子の元に一本の電話が。
冴えた老人の騙すか騙されるかの一本勝負開幕!

なろう版   カクヨム版


 温厚な老婦人、昌子の穏やかな生活は植木の水やりから始まる。
「今日もあなたたちは元気に咲いているわね」
 昌子に水をもらい、植木は彼女に活力を与えるかのように咲き誇っている。植物であろうと、彼女の心が分かるかのように。
「あなたたちの元気な姿を見るのが楽しみなんだよ。少しでも長く咲いておくれだよ」
 昌子の言葉に呼応するかのように、ジョウロで水を貰った花たちは見事で鮮やかな花弁を昌子に魅せつけるかのように咲いていた。

 昌子は今年七十五になる老人の一人暮らしだった。夫を去年胃がんで亡くし、それきり一人で暮らしているのだ。
 時折役所の相談係が様子を見にやってきて、他愛無い話を交わす。
 また、ご近所の主婦たちの井戸端会議に混ぜてもらい、昌子はほとんど喋らず相打ちを打つだけで聞いている。
 そういった穏やかな生活を満喫していた。
 決して退屈はしていない。もともと昌子はのんびりしていて、だが年齢の割に知的でシャキッとした頭脳を持っており、若いころから一人で何でもそつなくこなしてしまうという性分から、一人暮らしでも全く寂しさなど感じていなかったのだ。
 ひとり暮らしにはひとり暮らしの楽しみ方がある──それが昌子の言い分だった。その言葉を全身で表現するかのように、彼女は毎日を楽しく過ごしていた。

 植木の水やりを済ませてから、昌子は朝食を摂る。
 昨夜の残りのご飯に漬物、そして味噌汁と玉子焼き。たまにイワシなどの魚を焼いたものが付いたりする。シンプルながら、彼女が毎朝食べてきた健康食だ。
 朝食が済むと、のんびり家の掃除に取り掛かる。
 彼女しか住む者がいないこの一軒家は、彼女一人では広すぎる。普段使わない部屋は掃除を手抜きするというちゃっかり者だった。
 掃除機は使わず箒で掃き掃除をし、その後、雑巾で拭き掃除をする。大変だが、自分の使う部屋だけの掃除なので、彼女は大して苦にしていない。のんびりやれば掃除とて、彼女には辛くない作業なのだ。
 たまにやってくる知人を迎える時だけは、一念発起して全部の部屋を、一日掛けて掃除する。それが彼女のやりかただった。
 のんびりな掃除が終わる頃、彼女は散歩に出かける。齢七十五にして健脚の証だ。

 散歩の途中、いつも見慣れた井戸端会議中の主婦たちに出会った。
「こんにちは、おばあちゃん」
「こんにちは。いつも楽しそうね」
「おかげさまでね」
 昌子はさり気なく井戸端会議に加わる。
 ある主婦はご主人のぐうたらさを恨み節にし、ある主婦は息子がグレたと嘆いている。だがどの話も、各家庭にとっては重大な事件であっても、他人が聞く分には大したことではない。こうして愚痴り合っていれば、それなりにストレス発散になるのだ。だから昌子は話半分に相槌を打ちながら、彼女たちの憂さ晴らしに付き合っていた。
 主婦たちの会話に付き合い、頃合いを見計らって「じゃあ私はこれで」と引き下がる。
「ばいばいおはあちゃん」と、話を聞いてもらい、すっきりした主婦が手を振り、井戸端会議の時間は終了。そして散歩を再開させる。
 今日はどこまで歩こうか。梅の花がそろそろ咲く頃かしら。そんな事を考えながら。
 昌子は子供たちの遊ぶ公園で一休みし、元気に遊びまわる子供たちの姿を見る。やはり子供たちの姿を見るのも楽しい。子供は元気が一番だ。
 子供たちを見ているのは楽しかったが、元気に遊ぶ彼らの姿を見てるだけで、少々疲れてしまった。なので、ここかで家に引き返す事にした。
 今日はあちらへ、昨日はそちらへ、明日はどうしようかと、ボチボチ歩き、毎日の景色を眺めて暮らす。昌子の健康はこれによって保たれていた。

 家へ帰り着くと、丁度電話が鳴っていた。昌子は慌てて受話器を取る。
「はいはい、どなたでしょうかね?」
「ばあちゃん! オレだよオレ!」
 昌子は一瞬口ごもり、最近ニュースで見る、振込め詐欺の手口を思い出す。聞き覚えのない声と「オレだよオレ」の言葉で、昌子はすぐにこれが詐欺だと思い当たった。
 ニュースでは聞いていたものの、まさか自分の所に掛かってくるとは思わなかった。昌子は軽く興奮しつつ、なぜかおかしくなって吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
 そう簡単には引っかかってやるものか。ちょうどいいから話し相手になってもらおうかね、と、昌子は声なくフフと笑う。相手をからかってやる気満々なのだ。
 詐欺だと分かっているからこそ、昌子の頭脳がまだ錆びついていないからこそ、からかってやろうという発想が生まれていた。
 昌子はわざとゆっくりした言葉で送話口に向かって話し出す。相手のテンポではなく、自分のテンポに持っていってこそ、詐欺相手に立ち振る舞えると思ったからだ。

「おや、ヨシアキかい?」
「そうだよ、ヨシアキだよ! ばあちゃん助けてくれよ!」
 昌子にヨシアキなどという孫はない。いや、孫自体いないのだ。娘は未だに不妊治療で苦しんでいるのだから。
 それをさも、空想上の孫がいるように語る。騙していると思っている受話器の向こうの相手は、まんまと昌子に騙されているのだ。それが滑稽で、昌子はつい笑ってしまいそうになるのを堪える。先ほどから笑いを堪えすぎて、よい腹筋運動になっている。
「どうしたんだい、ヨシアキ。大声出して。ばあちゃんのんびりだから、ゆっくり喋ってくれないと聞き取れないよ」
 会話の隙間に次の手を考える時間を設けるために、わざとそんな事を言う。状況は完全に昌子の手のひらの上だ。
「オレさ、バイク事故で子供轢いちゃったんだよ。示談金で三百万必要でさ。オレ、そんな大金もってないし、ばあちゃん助けてくれないか?」
 ニュースで見た手口そのものだった。さては向こうも慣れていないのだな、と想像し、昌子はどう返事しようか思案する。
 ここはやはりいきなり話をひっくり返すのではなく、一度騙されたフリをするのが楽しそうだ。
「まぁまぁ、それは大変だ。わたしにできる事はあるかい?」
 そう言ってから、そういえば金を用意しろと言っていたなと思い出す。ちょっと失敗したかと思ったが、受話器の向こうの相手は全く気にしていない様子だった。
「示談金を貸してほしいんだ。今、オレ、金がなくてさ。半分の百五十万でもいい。貸してくれると助かるんだけど」
 詐欺の男はテンプレートをなぞるように金を要求してくる。昌子はどうやってどんでん返ししてやろうかと思案した。
 素直に振り込むと言って振り込まないのは面白く無い。取りに来てくれと言って、本当に取りに来られても、こちらは老人一人なので少々怖い。しかし本人が来ないと渡せないと言うのもありかもしれない。なにせ相手は顔を見られないように、事を運びたがるはずだから。
 ならば少々冒険だが、当人に取りにこさせるように仕向けてみよう。どんな反応が返ってくるか楽しみだ。
「よし、分かった。ばあちゃんに任せておくれ。すぐにお金を用意してあげるよ。そうだねぇヨシアキ、お前が取りにきておくれ。ばあちゃん、三百万を用意して待っててあげるから」
「ダメだよ。オレ今、警察にいるんだ。金が用意できるまで、警察から出る事ができないんだ。今から言う口座に金を振り込んでくれたら、オレの所に金が来るようになってるからさ」
 案の定、相手は直接来れないと言った。ならばもっと押してみよう。昌子は興奮気味に口を開く。
「困ったねぇ。ばあちゃんは銀行口座を持ってないんだよ。お前も知ってるだろう? お金は全部ウチにあるって。前にも見せたじゃないか」
 当然嘘だった。年金も恩給も、きっちり銀行に口座を作ってある。その通帳を誰かに見せた事などない。娘だって通帳の隠し場所は知らないはずだった。
 昌子の頭はまだしっかりしているから、娘にも知らせる必要はないと思っていたのだ。
「オレの口座に金を振り込むのは、ばあちゃんが口座を持ってなくても大丈夫だから振り込んでくれよ」
 よし、ここらで一気に反撃してやろう。昌子は受話器を握る手に力を込めた。
「いやいやそれは無理だよ。ヨシアキの口座はあの世銀行≠セろう? あの世の銀行に振込みなんてできやしないよ。それにヨシアキは一年前に事故で死んだじゃないか。ばあちゃん悲しかったのを今でも覚えているよ。こうしてヨシアキと話をまた出来て、ものすごく嬉しいんだ。ヨシアキ、いつ生き返ってくれたんだい?」
「へ? 死んだ?」
 相手の動揺が見てとれるようだった。昌子は堪え切れずに笑い出した。その愉快そうな笑い声は、相手にもはっきり聞こえているはずだった。
「なに、ぼんやりした事をお言いだよ? ヨシアキは一年前に死んだじゃないかと言ってるんだよ。あの世にも銀行があるなんて、わたしは初めて聞いたよ。さぁ、どうやって振り込むのか、手順をばあちゃんに詳しく教えてくれないかい? ヨシアキはばあちゃんが大好きだっただろう? ばあちゃんの言う事はなんでも聞いてくれただろう? さぁ、早く教えておくれ。ばあちゃん、ヨシアキのためならなんだってしてあげるよ」
 プツッ!
 電話は唐突に切れた。
 詐欺が失敗したと、相手も分かったのだろう。そして昌子に踊らされていたと、屈辱を味わったに違いない。「今回は相手が悪かったね」と、切れた受話器に向かって最後の一言を吐いてやった。
 昌子はアハハと笑って受話器を置く。
「酸いも甘いも知らない若造が、年寄りを甘く見るんじゃないよ」
 そう呟いてから、昌子は久々に大声で笑った事を思い出す。やはり笑いも長生きの秘訣だ。こういう分かりやすい悪戯電話もたまにはいいかもしれない。
 昌子は少々浮かれた気分で、のんびりと昼食の準備に取り掛かった。
「さて、それじゃあヨシアキの昼ごはん≠熏ってやるかね」
 そんな冗談を口にしながら。