黒渦-CLOSE-

仄暗い瓦斯燈に照らされた黒渦(CLOSE)な世界の物語

大正浪漫風混沌系サスペンス

町の商店街を抜けた先にある一軒のカフェー「時茶屋」
美麗の女主人と無口な少年、そしてはつらつとした女給の少女が今日も“特別なお客様”を出迎える

彼女らの仕事は客にカフェーの美味しい珈琲を提供する事
だがカフェーの仕事とは別に、黒く渦を巻く別の顔があった――


     二

 商店街を抜けた先の町に出ると、縁日でもあるのか、露天商が神社の入り口などに軒を連ねていた。そんな向かい合う露店と露店の間を晶と並んで歩きながら、美帆は考えていた以上にこの外出を楽しんでいる事に気付いた。
 思い起こせば、住み込みで『時茶屋』で働きはじめて、ようやく本当の意味で、初めての外出かもしれないのだ。買い出しなどで何度か出た事はあったのだが。
 故意に晶を連れ出した理由がバレないように、美帆は普段よりもはしゃいだ姿を見せている。一刻でも早く晶と早く話がしたいのだが、まずは落ち着いた空気を作ってからだと考えたのだ。しかしやはり遊びたい年頃のためか、楽しさが若干勝ってしまい、美帆は露店を次々と覗いては若い娘らしい素直な感想を述べている。

「わ、晶くん! 飴細工ですよ。小鳥とか犬とか、飴で器用に作りますね。晶くんも手先が器用だから、簡単にできちゃったりします?」
「やったことない」
 飴細工を一つ一つ眺めながら、美帆は全てに感想を呟く。
「そうですよね。やっぱりこういうのって職人さんの技ですもんね。あ、この鶯、綺麗な色だと思いませんか? 緑なんて飴で表現するの、難しい色なのに。もしかしてお抹茶味とかかな?」
 美帆のおしゃべりが続く。
「あっちのお店は簪のお店ですね。あたしは髪の長さが中途半端だから必要ないですけど、綾弥子さんはいつも綺麗に簪で髪を上げてますよね。それも極端に古風にならなくて、すっごくモダンで素敵な結い方で。どうやってるのかな? ちょっと憧れます」
 手にした簪を髪に挿す振りをして顔の横に持ってくる。そしてそのまま晶の方へ振り返った。感想を求めるつもりだったが、晶はツンと無表情で顔を背けていた。
「あ、ごめんなさい。晶くんを誘い出したのはあたしなのに、あたしばっかり楽しんじゃって」
 気だるそうに斜に構えたまま、晶はぼんやりと首を傾げ、どこか上の空だ。美帆はすまなさそうに晶に侘び、そして晶の視線の先を辿った。
 仮設で建てられた小屋に、演目の絵が描かれた大きな看板。芝居小屋のようだ。
「お芝居小屋? ここはちょっと古い形式のお芝居みたいですよ。えっと……人形芝居ですね。弁士(べんし)さんが喋って、人形を動かす黒子(くろこ)さんがいてって、そういう古い感じのお芝居小屋みたいです。晶くんはお芝居、観たいんですか?」
 美帆の声に今更気付いたのか、晶は数回瞬きする。聞いていなかったらしい。
「お芝居、好きなんですか?」
 美帆はもう一度問い掛ける。こういったやりとりはいつもの事だ。聞いているか聞いていないのか、感情の乏しい晶の顔付きや態度だけでは理解が難しい。頷く事さえしない時もある。ゆえに美帆も、根気よく同じ質問を繰り返すといった体(てい)だ。
 不遜で自身の考えが揺るがない綾弥子ではなく、ほのかに好意的な晶だからこそ、彼女も彼に対してだけは、じっくりと向き合える。
「別に」
 変わらぬ素っ気ない返事。
「でも見てましたよね?」
 更に突っ込んで聞く美帆。
「見てない」
 先ほどと同じように、素っ気なく繰り返す晶。
「絶対見てました」
 強く断定する美帆。
「……見てた」
 あっさり根負けした晶は僅かに眉尻を動かして観念した。
「はい。あたしの勝ちですね」
「美帆の勝ち」
 ここ最近、粘り強い美帆は、今のようにへそ曲がりの晶を言い負かしてしまう事もしばしばあった。晶もそういったやりとりは嫌いではないらしく、一応つっけんどんな否定の態度を一度はとるのだが、その後たやすく根負けを認める。
 そんな他愛ないやりとりが、美帆には少し嬉しかった。大人ぶるでもない、感情の乏しい晶がこの時だけ、年齢相応の少年のような雰囲気を醸し出すのだ。
 裏の稼業の時の、尖って危険なナイフのような冷たさがない、ぶっきらぼうな昼間の晶だからこそ、美帆も強気に出られるのだ。殺人を犯している時の晶は、まるで晶でない、感情の欠落した人形のように感じられるのだ。

「観ていきますか?」
「別に。どうでもいい」
 まただね、と、美帆はクスクス笑う。
「それは観たいって事ですよね? 白状しちゃってください」
 晶はストンと肩を落とし、ため息を吐く。
「……美帆がいいなら」
 少し照れているのか、晶は視線を逸らしてポツリと呟いた。
「ちょっと歩き疲れたし、休憩にちょうどいいですよね」
 美帆は晶の前に立ち、芝居小屋に向かって歩き出した。

 芝居の観覧切符を二枚買い、美帆と晶は芝居小屋へと入る。筵(むしろ)を敷いた狭い客席の隅に、二人はゆっくり腰を下ろした。そして美帆は、水筒に入れてきた冷めたお茶を器にもなる蓋に注ぎ、晶に手渡した。
「今日は暖かいから、冷めたお茶も美味しいと思いますよ。どうぞ」
「いらない」
「喉渇いてませんか?」
「いらない」
「こういうのは、絶対折れてくれないんですよね。そんなに自分の淹れた珈琲が好きなんですか?」
 美帆は不貞腐れ、しかし茶化すような言葉を挟んでから一口お茶を飲んだ。
 適度にぬるくなったお茶は甘く、喉の渇きは一瞬で癒えた。

「あ、そろそろ始まりますね」
 低い壇上に弁士が上がり、朗々とした語り口で人形の芝居に沿って物語を進めてゆく。
 黒子の動かす人形は、弁士の合図に従って笑い、泣き、怒り、舞い踊り、そして最高の盛り上がりである、一瞬の衣装変化へと舞台の仕掛けが切り替わる。それは一瞬の出来事だった。
「わっ! お姫様が一瞬で龍になっちゃいました!」
 感嘆の声をあげ、美帆は小さく拍手する。賞賛の拍手だった。
「もう姫には戻れない。雨を降らせる龍になって、天上へ登る」
 弁士より先に、晶が話のオチを口にする。美帆が驚いていると、晶の説明した通り、姫だった龍は泣きながら、雨を表現した簾(すだれ)の中を、天上へと登ってゆく。そして拍子木の音と共にゆっくりと幕が下りた。弁士が拍子木を一際大きく鳴らし、人形芝居は終了した。

「これ、見た事あったんですか? わ、随分古いお芝居なんですね。何十年も前に作られたお話だそうですよ」
 美帆が切符を買う時に、一緒にもらった予告チラシを見て仰天する。
「小さい頃、見た。絵巻物で」
「絵巻物で見たから、このお芝居小屋の看板をずっと気にして見てたんですね」
 一人で納得し、美帆はチラシを晶に差し出した。
「あらすじとか書いてありますよ。読みますか?」
 晶は美帆からチラシを受け取り、小さく折りたたんでシャツの胸のポケットへと入れた。彼なりに、この芝居を楽しんだのだろう。いつも無表情な顔が、ほんの少し熱を帯びた柔らかい表情になっている。
「休憩もしたから、次は……」
「人のいない所に行く」
 美帆が行き先を迷っていると、晶がすかさず口を挟んだ。
「あ、人酔いしました? ごめんなさい、気付かなくて」
 彼は元々、人の多い場所が好きでない。それを知っていて、汲み取ってやれなかったのは、自身の落ち度だ。美帆は反省してペコリと小さく頭を下げた。
「違う」
 晶はやれやれといった風に、美帆の瞳をじっと見た。
「美帆は聞きたいんでしょう? だから僕を連れ出した」
 美帆が口ごもる。
 まったくその通りだった。もはや綾弥子には、言い知れぬ恐ればかり抱いてしまうが、晶ならまだ話せる。きっと晶にも、優しい人間としての心は残っているはずだから。そう思って、例の裏仕事の事を晶に相談したいと、今日こうして無理やりに連れ出すような形で、綾弥子の監視下から逃れるために時茶屋から出てきたのだ。
「晶くんに隠し事はできないですね。じゃあ、公園の方にでも。平日のお昼間ですし、きっと人はそんなにいないと思います」
 晶は立ち上がり、美帆も壁に手をついて立ち上がった。



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