砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国、ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この者との出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ、過去から連なる歴史と秘密が紐解かれていくのだった。

なろう版

     4

 砂交じりの熱風が俺の頬を打つ。いや、また誰かに憑依した夢なのだろう。
 小高く競り上がった岩場。そこには両足と両腕を拘束された長い銀髪の男と、黒髪の小柄な少女とが転がされている。シーアとシーア・セムだ。
「おれが戻れば文句はないだろ! シーアを帰してやってくれ!」
 シーアが俺の憑依している者に向かって、憎々しげな視線と罵声を浴びせてくる。
「こちらの正体を知る者を生かしておけると思うか?」
「シーアは誰にもおれたちの事は喋らない! シーアは秘密を守れる! だからっ……だから!」
 まさかとは思うが……俺の憑依している者とは先代頭目か? 何と不愉快な。
 怯えるでもなく、曇った眼差しで俺を見上げてくるセム。いや、俺ではなく、先代頭目を見上げているのだ。
「……あ、あの……お願い、します。わたしを……お傍に置いてください。先生とか、外の人と……もう会わないってお約束すれば、いいですよね?」
「何だと?」
「わたしの持ってるもの、何でも差し出します。でも、心と命だけはダメです。わたしは……この人のために生きるって決めました。私の心と命は……この人だけのものなんです」
 セムがシーアの横顔に視線を移す。
「わたしが死んだら……悲しみますよね?」
 シーアを見つめ、セムは唇を笑みの形にする。シーアが複雑な表情で、だが愛しげな眼差しで、セムを見つめる。
「わたしはこの人の悲しむ顔を……見たくないです」
 暗殺者の頭目に向かって、強い決意を見せるセム。周囲に流されるままに生きていた貧民の娘は、恐怖を堪えて懸命に、気丈に立ち向かっておるのだ。自分の力など到底及ばぬ暗殺者の頭目に。
「シーア……お前……」
「大丈夫です。わたし、あなたのために生きますから。死にませんから」
 シーアに向かって凛と言い放ち、セムは真っ直ぐにこちらを見つめてきた。その眼差しに気圧され、俺の精神が憑依している者はセムから視線を逸らす。
「お前の存在が、そいつの素質を潰えてしまうのだ」
「この人にもう人殺しはさせません。誰かの命を奪う事によって、この人の精神は蝕まれてます。あなたはこの人の育ての親なのに、それが分からないんですか?」
「忌々しい女だ!」
 俺の憑依している者、先代頭目がセムの横面を張り倒した。
「シーアッ!」
「……ん……大丈夫、です。わたし、ずっとあなたと一緒ですから」
 弱々しい笑みを浮かべ、セムは唇を堅く結ぶ。次の衝撃に耐えるためか、全身を強張らせている。
「生かしておく訳がなかろう! 小娘が!」
「シーアに乱暴するな、クソ親父!」
 シーアがもがき、腕を拘束する縄から抜けようとしておる。だがそれは固く、すぐには解けそうにない。
 先代頭目がセムの胸倉を掴み、その華奢な体を持ち上げる。そして気付いた。
「貴様……」
 まだ微かに分かるという程度だが、セムの腹部はその体には不釣合いに膨れ上がっている。セルト……そうか。シーアには子供がいたはずだ。今、目の前にいるセムは、シーアの子を宿しておるに違いない。
「クソ親父、シーアから手を離せ!」
 縄で擦れたのか、シーアの手首は赤くなっておる。
 俺は……俺はセムが殺される日の夢を見ているのか? シーアの想う娘が惨たらしく殺されたという、あの現場にいるというのか?
 俺は……俺はそのような惨劇など見たくはない。夢なのだろう? ならばさっさと覚めてくれ!
「あいつの血を生き長らえさせるものか! ここで絶やしてやる!」
 〝あいつ〟? 先代頭目の言うあいつとは誰の事を指しているのだ?
 セムの胸倉を掴んだまま叫び、先代頭目は足元の固い岩に彼女を叩きつける。そして何度も腹部を蹴り付けたのだ。
 俺は女の体の事にそう詳しい訳ではないが、このような力で妊婦の腹を蹴飛ばされては、子は腹の中で死してしまう。
 強く何度も体を蹴られ、それでもセムは悲鳴をあげずに耐えておる。
「やめろ!」
 シーアが先代頭目に体当たりしてきた。腕を拘束する縄は随分緩んでいるが、まだ解けないのだろう。セムを庇うように膝立ちになり、鋭くこちらを見上げてくる。
 その背後では、セムが痛みを堪えるように体を丸めて肩で息をしている。
「……ごめんね……ごめんね、セルト。わたし……あなたを生んであげられない……」
 か細い声がして、セムがまだ見ぬ我が子に詫びている。
 この……下衆め! 俺は先代頭目に深い憎悪の念を抱く。
「声をあげるならあげるがいい。誰もお前たちを救う者などいない」
「シーアとセルトはおれが護る。助けなんていらないね」
 ようやく腕の縄を解いたのか、シーアは手首を擦りながら体の正面に両手を持ってくる。擦り切れて、滲んだ血が痛々しい。
 両足を拘束していた縄を解き、そしてセムの縄も解いてやる。シーアはセムの肩を抱いて真っ直ぐにこちらを見据えた。

 カルザスと初めて対峙した時のような狂気染みた殺意ではない。ただ、腕の中の娘を護るための、先代頭目に対する憤怒からくる殺意だ。
「お前では無理だ」
「無理かどうかは……っう」
 シーアが何か見えない重圧に押し潰されるように、うつ伏せに倒れる。そのまま強い力で押し付けられ、長身の体を地に横たわらせているのだ。
「な、んだよ……これっ!」
 どういう事だ? まるで魔法ではないか。手を触れずに相手の動きを拘束してしまうなど、魔法以外に考えられぬではないか。先代頭目とは一体何者だ?
「シーアッ、逃げ……ろっ!」
 セムがシーアの腕を掴み、無言で首を振る。この見えない重圧によって、体が動かぬのはセムも同じらしい。
「無理だと言っただろう?」
 先代頭目がシーアの肩を蹴飛ばし、セムの腕を掴み上げた。
「……姿を見る事も、触れる事も、叶わなくなって……構いません。命だけ……助けてください。生きてこの人の傍にいる事だけ許してくだされば……他に何も望みません」
「そんな戯言、俺が聞くと思うか?」
 白き悪魔となった時のシーアが持っているような、薄刃の細い短剣を取り出した先代頭目は、セムの頬に刃を当て、素早く横へ引く。朱線が走り、ぱくりと傷口を開くと同時に大量の血が滴る。
 嫌だ……俺はこのような夢など見たくはない! 早く覚めてくれ!
 俺の願いも虚しく、短剣がセムの腹部を切り裂いた。セムは抵抗しなかった。しかしさすがに声にならぬ悲鳴をあげた。そして先代頭目は、彼女の腹部から素手で何かを引き摺り出したのだ。
 見たくもない、まだ生きている人間の臓腑と……人の姿にすらなっておらん胎児。それらはビクビクと蠢いて、個々が〝生きている事〟を主張しているかのようだった。
 俺は精神だけの存在でありながら、激しい嘔吐感が込み上げてくるのを感じた。
「シーア……ッ……」
 みるみる血の気を失ってゆくセムを、ゴミでも投げ捨てるかのように放り出し、先代頭目は狂喜染みた笑みを浮かべた。
「さぁ、邪魔する者は消えた。また以前のように俺の手足となれ」
 シーアに向かって両手を広げ、そう言い放つ先代頭目。

 この者……気が振れておるとしか考えられん。自分の愛する娘を目の前で殺され、なのにそれに従う者がおるとでも思っておるのか? いや何よりも、ただの人間がこのような惨たらしい方法で、顔色一つ変えずに人を殺せるものなのか? 白き悪魔となったシーアのように、この先代頭目も正気を失っておるのか? まさに……悪魔の所業としか思えん。
「シ……シーア……シーア」
 呪縛が解け、動けるようになったのか、シーアがセムの傍に蹲って血に塗れた頬を愛しげに撫でる。何度も喉に声を詰まらせながらシーアは嘆き、消えかかっている眼前の天使の名を繰り返す。
「……泣いちゃ……ダメですよ。おとうさん、恨んじゃダメですよ。わたし……あなたの優しい笑顔、好きです。これからもずっと……ずっとあなたを……好きでいさせてください。あなたは……本当は……優しい人だから……誰かを恨んじゃ……ダメです……」
 掠れた聞き取り難い声で、セムが言葉を紡ぎ出す。シーアは放心したかのように、頬を涙で濡らしながらセムの手を握るだけだ。
 こ、の、莫迦者が! 動けるならさっさとセムを医者の所へと運ばぬか! お前が最も愛しく想い、愛した娘なのだろう!
 俺はシーアに対し、罵声を浴びせたい衝動に駆られる。しかしそれは叶わぬ事だ。
 セムは……まもなく、死ぬ。短く儚い人生を、終える。自らが愛し、愛された者に看取られ……。
「……約束……破って、ごめんなさい……」
「死ぬな、シーア!」
 シーアが半狂乱になって叫び、彼女の手を強く握って嗚咽を漏らした。
「まだ分からんか。どけ、邪魔だ」
 ただ泣き崩れるだけの無力なシーアの肩を掴んで背後へと退け、先代頭目はセムの傍へと立った。
「……は……」
 セムが僅かに唇を動かすが、それはもう声になっておらん。まだ懇願しておるのだろう。自分をシーアの傍に置いておいてほしいと、ただ一つだけの、願いを。
 先代頭目はこの無力な娘に、まだ何かを仕出かすつもりなのか? 先代頭目はセムの華奢な腕を掴み、岩の下へと無造作に放り出したのだ。
 そういえばここは少し高い岩場だったはず。おそらくラクアの町の傍ではあるのだろうが、見当がつかぬ……。
 現場を特定しようと様子を伺っていた俺の耳に、無数ともいえる虫の羽音が聞こえ、俺は総毛立つ。
 シーアはセムの墓前で遠い目をして語った。セムは生きたまま……〝虫に食われた〟のだと。

「シーアッ!」
 ようやく我に返ったのか、シーアが半狂乱になって叫び、岩場から身を乗り出す。
「さぁ、カブレアたち。新鮮な餌を好きなだけ食らえ」
 おぞましい数のカブレアに体を啄ばまれ、セムの姿は視認できない。
「シーア、今行く! ぐっ……」
 岩場を飛び降りようとしたシーアの髪を掴み、先代頭目はシーアの行動を阻止する。
「離せ!」
 先代頭目は狂気に彩られた余裕の笑みをシーアに向ける。シーアはその視線を浴び、恐怖で無力化した。

「……無駄だ。もう、食われた」

 がくりと膝をつき、シーアが両手で口許を抑える。俯いたまま両肩を震わせ、必死に吐き気と怒りに耐えているようにも見える。
 人間ではない。狂った魔物だ。このような非道な真似をするなど……先代頭目という奴は……。俺の頭が憎悪と嫌悪で真っ白になっていた。紡ぐ言葉も、ない。
「……シーアと……セルトを……返せ……」
「死者を生き返らせる方法などない。お前は俺の命令通り、標的を殺し続けていればいいのだ」
 ふらつくような足取りで立ち上がり、シーアが両手をだらりと下げている。夢遊病者のように、ふらふらとした足取りでこちらへ近付いてくる。
「……殺、ス……」
 様子がおかしい。シーアの雰囲気が先ほどまでと違う。
「……クッ……クククッ」
 乱れ髪に隠された顔、口元から含み笑いが漏れる。あの殺戮の天使が……白き悪魔が……目の前に。俺の目の前に、舞い降りた。
「は……あははっ……血の色、は……綺麗だねぇ……紅くて、温かくて、好きだよ、おれは。でも……あんたの血は薄汚いだろうけどな!」
 狂喜染みた笑みを口元に張り付かせ、シーアが俺の首を掴んだ。
「俺が分からんのか!」
「血をくれ……血を、寄越せッ! ……ククッ」
 シーアの指に力がこもり、俺の、いや、先代頭目の首を折った。シーアのあの細腕で、人間の首をへし折るなど、想像できなかった事だ。
 首の骨が折られるという生々しい不快な音を聞きながら、俺の意識は遠のく。遠くに、いや、すぐ耳元でカブレアの羽音が聞こえる。先代頭目は狂ったシーアによって、セムを食わせたカブレアの大群が渦巻く穴へと落とされたのだろうか? 視力を奪われた俺には何も分からん。

 ふと、俺は気付く。いや、思い出す。
 俺はこれを知っているのだ。シーアに聞いていたからではない。その場にいたかのような、はっきりとした記憶があるのだ。この殺し殺される現場を、俺は知っているのだ。
 以前も同じ夢を見て、それを忘れているだけなのだろうか? 俺は混乱する。

 ……泣いちゃダメですよ。
 セムの声が蘇る。

 ……これからもずっと……。
 セムは今でも、シーアの中にいる。約束を守っている。

 ……泣いちゃダメですよ。
 ああ、そうだな。確かにシーアは泣いてはおらん。だが……殺戮の味を覚えた白き悪魔となってしまった。奴を止められるのはセムだけだ。そのセムはもうこの世にない。
 誰も……止められないのかもしれない。
 そして意識の混濁した俺は、カブレアの羽音を聞きながら思考を止められた。
 微かに覚えているのは……新……シイ……ヤドリ……主……ヲ……。

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