砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国、ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この者との出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ、過去から連なる歴史と秘密が紐解かれていくのだった。

なろう版

     3

 破るかのような勢いで、泥と手垢に汚れた分厚い本のページを繰る手。皮の手袋をしているが、血が染み込んでいるのか、その手が触れた本のページは赤黒い汚れが付着する。
「どこだ……必ずあるはずだ……」
 乱暴にページを繰るが、どうやら目的のページが見つからないらしい。
 俺は再び、あの鮮明な悪夢を見ているようだ。
 薄暗い納屋のような場所で人目を忍び、古びた本を読んでおるなど怪しく奇妙な行動だ。一体何者なのだ、こいつは。
「……これか!」
 皮の手袋に覆われた指先が辿るのは、見慣れぬ文字と不可思議な絵柄だ。だが何故か俺にはそれに見覚えがあり、そして奇妙な文字で書かれた内容が分かるのだ。読める訳ではない。理解できるのだ。
「融合……肉体の……破壊……」
 俺の憑依している者はその部分で指を止める。
「肉体の破壊」
 再び声に出してその文字を辿る。その時だ。納屋のドアが勢いよく開け放たれた。
「見つけたぞ。観念しろ……」
「もう追い付いてきたか!」
 本を閉じ、それを小脇に抱えて俺の憑依している者は壁際へと身を引く。
 納屋の入り口には、くすんだ灰色の髪と白い肌の長身の男が立っている。赤みを帯びた紫色の瞳には、憎しみがこもっておる。
 アーネス・セルト。師と弟の仇であるテティスを追って地上へと降りた魔導帝国最後の魔導師。
 すると俺はテティスの精神に憑依しておるというのか。あの鱗のような肌を持つ獣人に。

「マリスタ様の魔力を宿し、その体でまだ生きていられるとはな」
「生憎と、俺は普通の獣人ほど簡単には壊れない体質でな」
「竜の鱗を持つ獣人……竜人というところか。マリスタ様も厄介な獣人を作り出してくれたものだ」
 竜……その爪は全てを引き裂く剛剣。その鱗は何物をも寄せ付けない鉄壁の鎧。
 カルザスたちの視点からすれば竜など伝説上の生き物だ。エルスラディアでは実在したのかもしれんが、あの夢では見た事がない。
 しかしこうして本物の竜は、いや竜の鱗を持つ者が、ここにいる。
「……マリスタ様の行った行為は、獣人から見れば確かに行き過ぎた行為だっただろう。命の流れを歪められたんだからな」
「分かってるなら、素直に俺に殺されな、魔導師。それで全て終わるんだ」
 アーネスは怒りを押し殺して強く拳を握り締める。
「マリスタ様に悪意はなかったと説明しても、頑ななお前は理解を示そうとはしないだろう。ゆえにこの点に関しては俺もお前に同情し、亡きマリスタ様の代わりに詫びよう。だが……だが、なぜアイセルを殺した! アイセルは魔導師とは関係なかったはずだ! アイセルは……魔導師ではない、ただの人間だったんだから」
 アーネスの悲痛な絶叫に、テティスは嘲笑する。
「それだ、アーネス」
「何?」
 テティスは魔導書を脇に抱え、アーネスを正面から見据える。
「ただの人間が、魔導師に気に入られたというだけで、俺や獣人に偉そうに命令してきやがる。挙句の果てには、自分のお陰でエルスラディアに昇って来られたんだから、選ばれたんだから魔道士に感謝しろだと? ふざけるな!」
 テティスが壁に拳を打ち付ける。脆い壁はひび割れ、穴を穿つ。
「違うぞ、テティス。アイセルは魔導師と獣人たち、人間たちの共存を願っていたのだ。俺やマリスタ様と争う事になってもだ」
「それがどうした? どんな屁理屈を捏ねようと、もう奴は死んだ」
 アーネスが、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
「……腹いせか? 姉のように慕っていたルネが、お前よりもアイセルを選んだ腹いせに、アイセルを殺したのか?」
 すうっと俺の、いや、テティスの表情が強張る。どうやら、アーネスが言った事は図星だったらしい。
 そうだったのか。テティスはルネというあの獣人の娘を、それほどまでに深く慕っておったのか。まるでジェレミーとセムのようだな。
「もう抵抗はやめろ。おとなしくマリスタ様のお力を引き渡し、アイセルを殺めた事を悔いて滅しろ」
「あっさり殺されてたまるか! 魔導師を完全に滅ぼすまで、俺は死なない! 復讐は最期まで遂げる! それが俺の選んだ望みだ!」
 抱えていた分厚い本を片手で開き、もう片方の手を高く掲げる。
「魔法を使う気か!」
 アーネスがテティスの魔法を阻止しようと飛び出してきた。
「吹き飛べ!」
 見えない力で弾かれたようにアーネスが床へと転がる。同時にテティスは奴に覆い被さった。
 ぎりぎりとその喉を締め付けるテティス。だが剥がれ落ちる鱗と、体中の至る箇所から滲み出す紅き血が、テティスの生気を奪う。やはり魔導師でない者が、生身の体で魔法という力を行使する事は容易くはないようだ。
「……アーネス。アイセルと同じ殺し方をしてやろうか?」
「負けんぞ、テティス……!」
 薄暗い納屋。悶え、床を蹴る魔導師アーネスと、魔導師の始祖とされる者の魔の力を宿した獣人テティス。いくらテティスが魔法を行使するたびに生気を奪われるとはいえ、魔法を使わない肉弾戦ではテティスに軍配が上がるようだ。
 このままではアーネスが死んでしまう! 誰か……誰か奴を救出できる者はおらんのか! こんな場所で死んでしまっては、アイセルの仇もマリスタの命も、何も果たせんではないか、アーネス!
 こんな所で死んでは……死……死んだ……のか?

 アーネスはテティスを捕らえる事ができず、返り討ちに遭った。だから……アーネスは実体を無くし、それでもマリスタの命を守ろうとし、精神だけの不安定な存在として、カルザスという男の精神に憑依したというのだろうか? 死した衝撃で、記憶を失ったのだと仮定すれば……。
 やはり俺が……アーネスだという事なのか?
 俺の見ていた難解で不可思議な夢は、これを思い出すための……長い悪夢だったのではなかろうか。
「マリスタは相手にダメージを与える魔法を持ってはいない……だが、こうやって動きを封じてやればこの手で殺せるよな? アーネス・セルト……最後の魔導師!」
 アーネスの首を片手で絞め、もう片方の手で短剣を握り締める。
「テティス、貴様!」
 アーネスが至近距離から目晦ましの閃光を放つ。刹那、鈍い衝撃。
 どうやらアーネスが反撃したらしい。
「お前だけは許さない! マリスタ様の命を守るため、アイセルの仇を取るまで、俺は絶対に死なない!」
 そうだ。俺は死にたくはない。死んでたまるか。俺は生き、カルザスとシーアと共に雪の降る国へ行くのだ。
 誰の声なのか、ふいに絶叫が頭の中に轟く。アーネスか? テティスか?
 虫の羽音のようなものが聞こえ、同時に血が目に入り、ただでさえ薄暗い納屋の中の状況を把握できなくなった。

「壊れろ……」
 低くくぐもった声が聞こえた。それがどちらの声なのか、俺には瞬時に判断できない。
 その時、ふっと閃光のようなものが閃き、俺の視界に飛び込んできたのは、アイセルを絞殺せんとするテティスの手だった。先ほどアーネスに行ったと同じように、喉を締め上げ、短剣を振り翳している。
 再び……再びアイセルの苦しむ姿を見せられるのか、俺は……?
 我が身が犯した罪であるかのように、この手に鮮明に残るあの感触。もう……忘れたいというのに……。

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