砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国、ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この者との出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ、過去から連なる歴史と秘密が紐解かれていくのだった。

なろう版

     2

 人々が日常的な生活の際に発する様々な音や町の雑踏が、岩の壁越しに聞こえてくる。香か何かなのか、心地よい薫りがたち込めていて、落ち着いた気分になれる。
 うっすらと目を開くと、古いものの、丁寧に清掃されている天井と壁が見えた。
「……痛っ……」
 体を起こそうとし、全身を襲う痛みに声をあげたのはカルザスだった。どうやら俺は今、カルザスの中に戻ってきたらしい。
 そういえば、慣れ親しんだカルザスと共にあるというような、しっくりとくる感覚がある。
 ではマリスタやアーネス、アイセルの事件は俺の夢だったのだろうか? 意識だけの存在でありながら、夢を見るなどとは思わなんだ。
「僕は……」
 痛みを堪えつつ体を起こし、カルザスは比較的痛みの少ない左手を見る。多少の引き攣りや軋みは感じるものの、ゆっくりとだがカルザスの意思で握ったり開いたりができる。
「……生きている?」
 ──そのようだな。
「ああ、あなたも……ご無事でしたか。よかった……」
 どうやら意思の疎通も可能なようだ。

 しかし妙だな。暗殺者がターゲットを仕留め損なうなどという事が、実際にあり得るのだろうか? ターゲットに抵抗されて逃げられたのならば、命からがら生き延びる事もあるだろうが、あの時、カルザスには一切の抵抗手段も逃走手段もなかったはず。
 人を殺すという思考は理解できんが、ターゲットや正体を見た者に対し、確実にトドメを刺す事が、暗殺者の仕事の成功ではないのだろうか。
 意識を失ったカルザスを死んだと思って放置した……などとは考えられんな。完全に事切れているティケネーの死体を、なおも斬りつけていた程の念の入れようだったのだ。確実に息の根を止めるまで止めぬに決まっている。奴は……暗殺者とは一種の狂人なのだからな。
 なのに……カルザスも俺も生きているのだ。しかもよく見ればベッドに寝かされて、サイドテーブルには見た事のない薬包紙や薬瓶が並んでいる。腕や腹には丁寧に包帯が巻かれ、それは誰の目にも明らかな治療の痕跡だ。

 カルザスが周囲を見まわすと、ベッドの足元の方に蹲る人影を発見した。銀色の髪……シーアか!
 心臓が飛び出してしまうのではなかろうかというほど、カルザスは竦み上がる。無理もない。殺されかけた相手なのだからな。
 ──カルザス! 今の内に何とか逃げ出せんか? 奴は眠っておるようだ。
「かなり辛いですけど……何とか動いてみます」
 庇ったとはいえ膝蹴りを叩き込まれた鈍い痛みのある腹部を押さえながら、カルザスは体を捩る。ベッドが軋み、腕に巻かれた包帯から血が滲む。どうやら傷口が塞がっていないようだ。無理もないか……。
「……う……くぅ……」
 気の遠くなりそうな激痛に、カルザスは唇を噛む。額に脂汗が滲み、目の前が霞む。
 ベッドの脇には、水の張られた木桶があった。この砂漠の国ウラウローでこれだけの水を用意するとなると、相当額の金を払わなければならんはず。治療の痕跡や、先ほどの薬瓶。まさかシーアが手当てしたというのか? カルザスを殺そうとした暗殺者本人が……。
 室内を見回すと、床に染み込んだ血痕や、壁に突き刺さっている短剣などがそのままになっている。やはりここは昨夜争ったシーアの部屋だな。
 左手で、利き腕である右手を擦ると、激しい痛みはあるものの、辛うじて指先を動かす事ができた。どうやら腱や筋を痛めただけで、骨は折れていないらしい。カルザスのしぶとさや頑丈さには毎度毎度舌を巻く。足をベッドから下ろそうとし、カルザスは脇腹の痛みに小さく喘いだ。

「……少しは安静にしてなよ。すぐに動けるような怪我じゃないんだからさ」
 シーアの声がして、カルザスはびくっと体を震わせる。奴を起こしてしまったのだと恐怖を感じたのだ。心臓が激しく脈打っているのが、俺にもはっきりと伝わる。
 再び襲いかかってくるのだろうか?
 だがシーアは壁際へと移動し、そのまま膝を抱えて腰を下ろすと、視線だけをこちらへと向ける。
 昨夜と同じ格好のままで、唇の端から顎にかけて流れていた血は、そのまま固まっている。澱んだ瞳に、詩人として振舞っていた時の面影はない。かといって、暗殺者の鋭い眼差しではない。スラムの貧民によくあるような、生きる事に疲れ果てた、無気力な者の目だ。
「誰も上へ来るなと命じてある。今、ここにはおれとあんたしかいない」
「……あの……シーアさんが手当てを?」
「ああ」
 窓からは太陽の光が射し込んでいる。今日も暑くなるのだろう。
「あの……僕を殺そうとしたの、シーアさんですよね?」
「ああ。あんたはおれの正体を知った。だから口を封じようとした」
 鬱陶しげに髪を掻き上げ、シーアは俯いた。
「……でも僕はこうして、生きています。昨夜、そのまま手当てしなければ、死んで……」
「あんたが死んじゃ嫌だって思ったんだよ」
 抱えた膝に顔を伏せ、くぐもった声で答えるシーア。
「あんたは優しかった。今までの誰とも違う優しさがあった。そういうの、全然知らなかったから……嬉しかったんだ」
 カルザスは目を細め、小さく深呼吸する。
「……優しい、ですか。なら……暗殺者の正体を知ったから……暗殺者に殺されてあげるのも……優しさですかね」
 何を言い出すのだ、この男は!
「助けなければ、死んじゃってたんですよ、僕。あなたはそれを望んでたんですよね?」
「死……暗殺……おれの……ククッ……」
 シーアがその双肩を震わせる。殺気めいたものが漂い、ゆっくりと顔を上げたシーアの目は、暗殺者の目だった。
「……いいですよ。おとなしくしてます。どちらにせよ、この状態じゃ抵抗できないんですけどね」
 立ち上がり掛けたシーアの動きが止まる。そして両腕を抱き、蹲って何かに怯えるように震え始めた。
 爪を立てて床を掻き、荒い呼吸で肩を上下させている。時折嫌々と首を振り、苦しげに喘ぐ。何かに怯えるようでもあるが……。
 一体何に怯えているというのだ。無傷のシーアと、満身創痍のカルザスが再び戦ったとしても、勝敗は火を見るより明らかではないか。
 そういえば先日、カルザスは妙な事を言っていたな。シーアは心を病んでいると。
 暗殺者として殺戮を好むシーアと、それに怯えるシーア。その狭間で、シーアは苦しんでいるというのか? そうとでも思わねば、目の前で蹲ってもがいているシーアの姿は説明できん。

「すみません。あなたを試すような事を言ってしまって。大丈夫ですか?」
 試す……? カルザスめ、何か俺に知らぬ事情を知っておるのだろうか?
「……ああ、もう……平気だよ」
 体を起こし、シーアは再び膝を抱える。だが、小刻みに震える肩は、とても平静を取り戻したようには見えん。
「……おれはあんたを殺したくなかった。だから……助けた」
「ありがとうございます」
「礼なんか言うなよ。その傷は全部おれがやったんだから」
 服は暗殺者のものだが、今、俺たちの目の前にいるシーアが昨夜熾烈を極めて争った暗殺者だとは思えんな。
 昨夜も思った事だが、長身ではあるものの、カルザスに比べて遥かに華奢なその体で、あれだけの猛攻を繰り出せるようには思えんし、酷く弱々しい雰囲気を醸し出すこの者が、殺意をみなぎらせていたあの暗殺者と同一人物とは思えんのだ。
「あんたはおれなんかに殺されちゃいけない人間なんだ。死んじゃいけない、生きるべき人なんだ」
 遠い目をして、シーアは繰り返す。
「……あんたは生きるべき人で……おれはそうじゃないんだ……」
「人間に生きるべき人とそうでない人、なんて区切りはありませんよ」
「あるさ!」
 シーアが床に拳を叩き付ける。
「おれは暗殺者だ。でも片っ端から殺す訳じゃない。生きるべき人には手出ししない。だがそうじゃない奴は殺す。生きるべき奴と、そうじゃない奴。世の中にはその二種類しかいないんだ」
 強い口調で言うシーア。
 そう思い込む事で、自らが犯す殺人を正当化しているようにも感じられるが、その言葉の裏には、また何か別の真意があるように感じられる。今はまだ、それが何かは分からんが……な。
「あなたは自分の身を護る術を持っていると仰ってましたけど……それはその暗殺術なんですね?」
 一瞬だがシーアの体が強張る。
「……ああ。捨てられて死にかけてたおれを拾ったのは暗殺者の頭目。おれが物心ついた時には、おれは人を殺す事を覚えてたよ。そこら辺りで遊んでるガキが面白がって虫を殺すのと同じように、おれは誰かを殺してた。ナイフで死体を切り刻む事が……俺の唯一与えられた遊び道具だった」
 何と壮絶な……。
 俺もカルザスも言葉を失っている。そんな様子を見て、シーアは壁に手を付き、立ち上がった。
「一つ頼みがあるんだけど」
 片足に重心を乗せ、シーアは俯いたまま呟く。
「……傍に……行ってもいいか? もうあんたに手出しはしないからさ」
 一瞬躊躇したが、カルザスは黙ってこくりと頷く。

 本来ならば、暗殺者の言う事など一切信用できぬが、今のシーアならば口にした事は守るだろう。シーアがベッドの縁に腰を下ろすと、軋んだ音が室内に響いた。
「もう人殺しは飽きたよ……それに疲れた。あんたになら捕まってもいいかなって思う。いや、捕まるのは嫌だな。役人に突き出されたら、散々拷問されて殺されるんだろうし。同じ死ぬなら……あんたに……カルザスさんに殺されたいな」
「シーアさ……」
 言いかけた言葉を遮るように、シーアは頭を抱えて強く首を振る。
「あんたには分からないだろうさ! もう嫌なんだよ。おれがおれじゃなくなるんだ。おれはただ、ハープを弾いて、歌って……それだけを望んでるのに、誰を殺せだとか、誰を始末しろだとか、そんな事ばっかり命令されるんだよ! おれの手を見ろよ! 血に汚れて赤いんじゃない。血を吸って赤いんだよ! おれが生きている限り、これからも血を求めて誰かの命を奪って血を吸い続けるんだ! もう、何もかも嫌なんだよ!」
 大粒の涙を零しながら、そう絶叫するシーア。
 この涙は本物なのだろうか? その叫びは本心からのものなのだろうか?
 胸の内に澱んでいた全てを吐き出すかのように、嗚咽を漏らすシーア。どう対処してよいものやら……。

「……暗殺者を辞めましょう」
 な、何を言い出すのだ、カルザスは! 暗殺者などという闇の世界に生きる者が、そう易々と日の当たる世界に出てこられる訳があるまい!
 暗殺者という者たちが、どう組織されておるのかは分からんが、そこからの足抜けなど、決して容易な事ではあるまい。剣を捨てればいいだけの、傭兵と同じだとでも思っておるのか、カルザスは?
「できる訳ねぇよ! 辞めるなんて言ったら、仲間に殺される! おれはあんたに殺されたいんだ!」
「僕はあなたを殺しませんよ。だって僕は暗殺者じゃありません。傭兵です。僕が理念とする傭兵は、人殺しの手伝いなんて引き受けません」
 涙で頬を濡らしながら、シーアはカルザスを見つめる。頬に付着している乾いた血に潤いが戻り、顎を伝ってシーツに落ちる。
「だから僕を雇ってください。あなたが暗殺者を辞める手伝いをするように護衛しろ、という依頼で僕を雇ってくだされば、僕、これからあなたとご一緒できますから」
 シーアは声を詰まらせ、ただじっとカルザスを見つめている。

 不思議な男だな、カルザスという男は。自分を殺そうとした相手に自分を雇えだなど、よく言えたものだ。
 カルザスも分かっているはずだ。闇の世界に属する組織というものからの足抜けは、そう容易いものではないという事を。
 かといって、シーアをこのまま見捨てる訳にもいかんというのも事実だな。こんな狂人を、世にのさばらせておく訳にはいかん。
 となると、やはりカルザスの言う通り、奴に雇われ、暗殺者たちを敵に回すという選択をする事が、今のシーアにとってもカルザスにとっても最善の策だろう。いや、最悪にして、最良の、と称するべきか。
 ククッ、全く面白い発想をする男だ、カルザスという坊やは。だから飽きんのだ。
 うんざりするほどリスクは高いが、暗殺者に付け狙われながら、元暗殺者と共に各地を巡るのも一興かもしれんな。このような体験、望んだとしても得られるような容易なものではあるまい。あまりに莫迦莫迦しく、そしてリスキーな事この上ない。
「生まれ、変われるなら……ずっと歌っていたいと……思ってたんだ……歌が好きなんだ、おれ……」
 痛みを堪えながら、カルザスはシーアの方へと手を伸ばす。その手から逃れるように身を引くシーア。
「依頼料はいただきますよ。僕はこれがお仕事ですから。でも格安にしておきます。その割引分の代わりに、シーアさんの歌を聞かせてくださいね。でなければ通常の代金を請求しますよ?」
「……おれ、歌っていいの?」
「はい、もちろんです。歌う事があなたのお仕事ですよね?」
 シーアは微かに震える手で、カルザスの手に触れる。だが熱い物にでも触れたかのように、慌ててすぐに手を引っ込めた。
「詩人も傭兵も、各地を旅します。一緒に行動していてもおかしくはないですよね?」
「……う、ん……変じゃ……ない」
 ふっ、奇妙な組み合わせではあるがな。
 シーアが再びカルザスの手に触れる。今度は逃げ出さなかったな。
「……おれ、暗殺者を辞める。だから……だから一緒に来てほしい。カルザスさんを……雇いたい」
「はい、喜んで。契約は成立ですよ」
 シーアの手を解き、カルザスはその手でシーアの髪を撫でる。幼い子供をあやすように、ゆっくりとその頭を撫でているのだ。
「もう大丈夫です。僕は依頼人を護りますからね」
「……うん」
 子供のように素直に頷き、シーアは俯いた。すると奴の膝の上に幾つかの水滴が落ちた。
 幾人もの血を啜ってきた暗殺者の、汚れのない涙だった。

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