砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国、ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この者との出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ、過去から連なる歴史と秘密が紐解かれていくのだった。

なろう版

     3

 シーアと出会ってから、今日でちょうどひと月になる。暗殺者を辞めさせるという目的は定めたものの、どうすれば良いのか模索しながら旅を続けていたせいか、もう随分と長く共に過ごしてきたような気がするのだがな。
 特に目的地がある訳でもなく、シーアと出会う前のようにただ漠然と気の向くままにウラウローを渡り歩く日々が続き、現在はウラウロー西方に位置するオグダムという町にいる。
 オグダムは地下水が湧き出るという、ウラウローでは珍しい町だ。そのためか他の町ように交易や商業ではなく、農作物によって栄えておる。
 地下水が湧き出るとはいえ、無尽蔵に湧き出ている訳ではない。ゆえに自警団による厳しい管理があり、一般の者が自由になる水はそう多くはない。

 シーアが言うには、長く定期連絡も怠っているために自身の脱退は間違いなく暗殺者たちには知られており、きっといずれは大掛かりな襲撃があるだろうとの事。
 暗殺者を辞めると言っても、そう簡単なものではないのだ。脱退した者からの吹聴で他の暗殺者たちの身が世間の目に曝される危険があるため、脱退はイコールその者の死をもって完了とされるらしい。呆れるほど明解で暗殺者らしい決着の付け方だな。
 まだ大掛かりな襲撃の気配などは感じられんが、気を抜いたその時が危ないのだろう。奴らもそれを待っておるかもしれん。
 この町にはそういった追っ手である暗殺者の手はまだ届いておらん。すでに五日ほど滞在しておるから、足がつく前に他の町へと移ったほうがよいかもしれん。

 ようやく傷も癒え、カルザスはこの町で久々に傭兵の仕事にありつけた。日雇いの護衛とは名ばかりで、実際には年寄り夫婦の話し相手を兼ねた引っ越しの手伝いだったのだがな。
 滞在中、カルザスは傭兵の仕事をこなしていたが、シーアは詩人として酒場で歌っていた。オグダムに着いた時、偶然にも詩人募集の張り紙を見つけたのだ。
 あまりのタイミングに一瞬追っ手どもの罠かと疑ってしまったのは、今となってはいい笑い話だ。

 満天の星空を見上げながら、カルザスはシーアの歌う酒場へと向かう。仕事の帰り、奴を迎えに行くのが日課になっておるのだ。
 酒場の入り口をくぐろうとした瞬間、勢いよくドアを突き破るように飛び出してきたのは、酒に酔い、足元の覚束なくなった見知らぬ男だ。続いて中から罵声と嬌声、おまけに歓声があがっておる。いくら酒場は享楽のための店とはいえ、この騒がしさは異常だ。
「……嫌な予感がします。あ、困ったという意味です」
 ──分かっておる。俺も頭痛がする。
 恐る恐る酒場の中を覗くと、泣きじゃくる踊り娘の肩を片方の腕で抱き、もう片方の手で丸盆を掴んでいるシーアの姿があった。
 丸盆にはひびが入っているが、気付かなかった事にしよう。奴の足元には、見事に脚の折れた椅子が転がっているが、俺にはそれも見えんはずだ。いや、見えん。絶対に見えんぞ……。
 ……はぁ……ついにやりおったか……。
「踊り子の顔をぶつなんて、どういう神経してるのよ! もう一発殴られたくなければ、床に頭擦りつけて謝りなさい!」
 などと叫びながら、すでに丸盆の角で男を殴り付けている。あ、盆が砕けた。
「暴力はいけませんよ、シーアさん!」
 カルザスが飛び出して奴の手から丸盆の破片を取り上げる。
「先に手を出したのはあっちよ! 女の子の顔を殴るなんて最低だわ! カルザスさん、聞いてよ! このタル男、この子にちょかい掛けてきて、相手にされなかったからって顔をぶったのよ! 酔っ払いだからって許される事じゃないわ! ちょっと聞いてるの、このタル! 常識知らず!」
「前触れもなしに椅子が壊れるような力で、いきなり男をぶっ飛ばす姐さんの方が常識わきまえなって」
 どうしてこう、いつもいつもこやつは騒ぎばかり起こすのだ。
「姐さん、一体どういうつもりなんだ? 客を殴るなんて、信じられない神経をしてるぜ」
「女の子殴る方がどうかしてるわ! 店主がそういう考え持ってるから、この店は流行らないのよ!」
 店のオーナーがシーアを糾弾する。だがシーアも負けてはいない。
 ……いや、負けねば、折れねばならんだろう、このような場合……。
 突っ走ってしまったシーアは引くという事を知らんからな。ああ、カルザスもだが。
「あんたなんかにいてられちゃ、店の評判が悪くなる! 明日からは来ないでくれ! ほら、今日までの給料だ!」
「こっちから出てってやるわよ。せいぜいタル男や下衆の機嫌取ってなさいよね!」
 と、オーナーの手から金をひったくり、シーアはさっさと荷物を纏める。
「シーアちゃん……ごめんね、わたしのせいでクビになっちゃって」
「テネシーは悪くないから。あなたは可愛いの。もっと強気でいないと、人生損しちゃうわよ」
 踊り娘の頬を撫で、シーアは微笑を浮かべる。そして踊り娘に軽く手を振ってさっさと酒場を出ていってしまったのだ。むろん呆気に取られていたカルザスははっと我に返り、慌ててシーアを追う。
「待ってくださいよ、シーアさん!」

 ひんやりとした夜風がカルザスの髪をふわりと撫でて過ぎる。やはり夜間は冷え込むが、今夜は普段ほど寒くならんだろう。
 少し歩いたところで、シーアは立ち止まってカルザスを待っていた。肩を竦めて皮肉っぽく笑い、追い付いてきたカルザスと肩を並べて歩き出した。
 宿は町の入り口付近にある。あの酒場からは少し歩かねばならんのだ。
 しばらく無言のまま帰路を歩いていたが、ふいにシーアは艶っぽく微笑みながら、髪を掻き上げる。そして星空を見上げた。
「明日からまたお仕事探さないとね」
「悪目立ちしないように、おとなしく詩人さんしててくださいね。しつけのなっていない子供の保護者の気分です。僕、このままだったら胃に穴が空いちゃいますよ」
 カルザスがおどけて言うと、シーアは笑みを含んだまま頬を膨らませる。
「いちいちそういう注意されるなんて、信用ないのね、私」
「当たり前です。シーアさんは平気でお客さんを殴っちゃうような人ですから」
「さっきのはあのタル男が悪いのよ。テネシーは内気でおとなしいから何も言えずに耐えてたわ。だから私が代わりに仕返ししてやっただけよ」
 どうやらシーアは同業の女たちから見て、姉御肌的なところがあるようだ。子供好きという面から見てもか弱い立場にある者に対して、自分が何かしてやらねばならんと思っておるのかもしれんな。
 ふむ……暗殺者として育った割には、妙に情に厚い部分もあるものだ。冷徹、そして奔放な奴だと思っておったのだが……。

 さすがに夜間は人の出入りが少なく、この通りなど、繁華街より外れているせいか寂しいほどだ。静かな夜道に、カルザスとシーアの足音だけが響いている。砂を踏む音は、じっと聞いておると眠気を誘うような気がしてならんな。
「……あのね……」
 女を装っておる時のハスキーな声ではなく、素の状態に近い声音だ。だが男の時の荒っぽさはなく、しとやかさがある。
「……私……人を信じる事が、怖かった」
 ハープの入っている袋を胸の前でしっかりと抱き抱えているシーア。口調は女のものだが、やはりいつもとは少し雰囲気が違う。
「昔は……自分以外の人を信じる事、できたのよ? でも……ある事件があってから……誰も信じられなくなった」
「そのある事件っていうのを聞いてもいいですか?」
 シーアは少し考えてから首を振る。
「……まだ、ダメ」
 否定の言葉を口にするが、今にもその唇は全てを吐露しそうになっている。
「今なら……今ならね。カルザスさんなら信じてもいいかなって……思うようになった」
 立ち止まり、シーアは俯く。
「……前にカルザスさん……信じてくださいって……言ってたよね?」
「はい。僕は決してシーアさんを裏切りませんよ。僕を信じてください」
 やはり行動を共にする事によって、凍てついていたシーアの心を溶かす事ができたのだろうか。拒絶の姿勢しか見せなかったシーアが、もどかしいほど不器用に、カルザスに自分の内側を見せようとしておる。奴からこのように歩み寄ってくるなど、初めてではなかろうか?
「……もう一度だけ、誰かを信じてみたい。だから……信じさせて、くれる?」
「僕でよければぜひ」
 顔を上げたシーアは無表情で、だが真っ直ぐカルザスの目を見つめてくる。無言のまま手を伸ばし、カルザスの服の袖を摘まむように持つシーア。そして再び俯いた。

「……一人で生きる事は……苦しかった」

「当たり前です。一人で生きる事ができる人なんていません。人は寄り添い合って生きてるんです。人が生きるのって難しいんですよ」
 シーアの手に力をこもる。まるで幼い子供が迷子になるまいと母親の袖を掴むように。幼かったアイセルが、ただ一人の〝兄〟であるアーネスの袖を掴んでいたように。
「……一人じゃ……怖い……」
 やはりシーアは心細かったのだ。虚勢を張る事、あえて自分の本心を包み隠す事で、全てを偽り、隠し、本来の自分を心の奥底へ何もかもを押し込めておったのだ。
「僕はシーアさんを信じてます。だからシーアさんも僕を信じてください。僕は決してシーアさんを裏切りませんし、傍を離れませんから。そうそう、セルトさんも一緒です」
 世話好きな男だな、カルザスという男は。
 ふっ、しかし俺も人の事は言えん。俺もカルザスに負けず劣らずのお節介好きの世話好きだ。俺にこんな一面があったとは、俺自身が驚く。
 ──とことん付き合ってやろう、シーアにな。
「彼もとことん付き合いますって仰ってますよ」
 返事はせんが何度も頷き、シーアは微かに手を震わせている。
「帰りましょう。明日、一緒に詩人のお仕事を探しましょうね」
 照れ隠しのつもりなのか、カルザスは頭を掻く。そしてそっとシーアの肩を抱くようにその背を押す。優しく、温かく。
 今夜は星が明るいな。俺やカルザス、シーアの進むべき道を照らしてくれておるようだ。

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