砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国、ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この者との出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ、過去から連なる歴史と秘密が紐解かれていくのだった。

なろう版

     4

 全身を包み込むような奇妙な違和感。慣れぬ感覚的な窮屈さ。俺はまた、カルザスでない誰かに憑依しているようだ。
 いや『夢の中で』『誰かに憑依している』が正しい。今度は誰なのだ? マリスタか、アーネスか、アイセルか。
 俺が憑依している者の目を通して周囲の様子を探ると、目の前で俯いている小柄な少女と、そして俺の憑依している者しか辺りにはおらんようだ。
 周囲は薄暗く、世事にも美しいとは言えん。小汚い路地裏のようだ。まるで貧民たちが身を寄せ合って暮らすスラムのようだな。寂しいといった雰囲気は同じでも、天空に浮かぶ、きらびやかなエルスラディアにはこのような場所はなかったはず。

「……お前っていつでもそうだよ。誰かのためにとか、誰かが迷惑するからとか、そうやって自分を犠牲にして、踏み台にされて、一体何が楽しいんだ? 人間ってさ、自分の欲のために生きてるんじゃないのか?」
 どこかで聞いた事のある声だ。そして発せられた言葉は俺の憑依している者が責めるような口調で、目の前にいる小柄な少女にぶつけている。
 少女は驚くほど華奢な、いや、窶れ切っているという表現の方が正しいな。身につけたものも粗末で、おそらくは……スラムに暮らす娘だ。
 肌が褐色で髪が黒であるから、ウラウローの民とよく似ている。もしや……俺はカルザス以外の、ウラウローの民に憑依しているのか?
「……わたしは……」
 少女は消え入りそうな声音で言葉を紡ぎかけ、やめる。
「もっとわがまま言えよ。最初はさ。お前に付き纏ってるのは、お前がおれの正体を知ってるから、誰にも言い触らしてないか監視するためだったけど、今は違う。おれはお前の事……気になるから。お前が気に入ってるから。だから……だからもっとおれを利用しようって考えろよ。おれを言い包めておけば、お前は金に困る事だって身を切る事ふだってないんだぜ?」
「わたし……そういうの……苦手で……」
 はっきりせん娘だな。
 自分の意思を表現する事を不得手としておるのだろう。自らの意志なり意見なりを主張する事を不得意とする者は、貧民にはありがちな事だ。学もなく、虐げられたまま成長するのだから、それも詮無きことだ。自分の意思を主張するための武器になる、〝言葉〟を持っておらんのだからな。
「苦手とかそうじゃなく、自分のためにもっと頭使って他人を利用しろよな。黙ってたって、何の得にもならないんだぜ」
「わたしは……わたしの事、いらないから……いいんです」
「いらない?」
 少女がゆっくりと顔を上げる。黒目がちの大きな瞳が印象的だが、特に人目を惹き付ける顔の作りではない。ありきたりな顔と言ってはこの少女に失礼だが、特に印象に残る顔立ちや容姿でない事は事実なのだから仕方がないではないか。
「孤児院とか……孤児院の小さい子たちとか……わたしはみんなや先生のためにずっと、生きてたんです……でも、わたしはもう大きいのに働けないから……どうやって働いたらいいかとか、全然分からなくて……わたし、生きてたら……みんなに迷惑だから……」
 たどたどしい言葉は、少女を年齢以上に幼く感じさせる。
「自分は自分のために生きてんだよ。周りなんて、自分のために生かしておいてやってるんだって思えよ」
 随分と乱暴な主張だな。傍若無人というか、自己至上主義過ぎやせんか?
「……わたし、は……自分のために生きるなんて……どうすればいいのか……分からないから……」
 か細くボソボソと聞き取り難い声。少女からは絶望という感情がひしひしと伝わってくる。生にしがみ付く事も、人の世で生きてゆく事も、何もかも諦めておるのだろう。無気力な、ただ息があるだけの存在。
「……あ、あの……ごめんなさい。迷惑ですよね。こんな事、言われて……迷惑で……わたしは……あなたを困らせて……」
 ふいに、おれの憑依している者が少女を抱き寄せる。少女は抗わず、されるがままになっている。
「……自分のために生きられないなら……おれのために生きろ」
 俺の憑依する者の、突然の告白。一体俺は今、誰に憑依しているのだ?
 抱き締められ、驚いている風でもなく、微動だにせずに少女は腕の中でおとなしくしている。
「誰かのためにしか生きられないって言うなら、おれのために生きろよ」
「……わたし、いると……迷惑……」
「ばーか。それでいいんだよ」
 少女の体は本当に折れてしまいそうなほど、小さく細く儚い。予想していたよりずっと。
「……やっぱ……嫌か? 暗殺者に惚れられるなんて、怖いか?」
 暗殺者? 俺の入り込んでいる者が暗殺者だと?
「なぁシーア。暗殺者のために……おれのために生きるなんて嫌か?」
 シーアだとっ!?
 俺が抱いているこの少女はシーアという名なのか? だが俺の知るシーアは白い肌と銀色の髪をした男で……。
 いや、確か俺の知るシーアにはその名と同じ知り合いがいるはずなのだ。人買いハドムの騒ぎの時、親しげにその名を口にしたのだからな。
 すると俺が今、憑依している者はあの暗殺者のシーアだというのか?
「シーア?」
「……嫌じゃ、ないです。あの……本当、に……いいんですか? ダメって……言わないですか?」
「なんでダメなんて言うと思ってんだよ? おれはお前が好きなんだ。おれを信じられないか?」
 少女が俺の憑依している者を両手で押して突き放す。弱い力だが、体は簡単に離れた。彼女は今にも泣き出しそうな顔をしている。
「あ、の……あの……本当は、あなたは……わたしが生きるために必要な人なんです……迷惑、じゃないなら……おそばに……いちゃ、駄目ですか? 遠くから見てるだけで……いいんです……」
 感情の昂ぶりを堪え切れずに泣き出した少女は、両手で顔を覆い、細い肩を震わせる。
「嫌われたくなくて……迷惑かけたくなくて……嫌がられるくらいなら、死んじゃう方がいいって……」
「死ぬとか言うな、この莫迦!」
 俺の憑依している者が再び強く少女を抱き締める。
「遠くからなんて言わなくていい。何も言わなくていい。おれの隣に立って、いつもみたいに黙っておれの袖を掴んでればいい。もう自分を犠牲にしなくていい。おれがお前を護ってやるから。だからおれのために生きてくれ」
「はい……」

 驚いたな……俺の憑依している者があの暗殺者のシーアだとすれば、これほどまでに強く、他者に対して自らの想いをぶつけるような真似をするとは考えられなんだ。他者には必要以上に執着せんと言うておったあの者が、明らかに住む世界の違う娘に愛を語るとはな。
「シーア。一緒にいよう、ずっと。どこか遠い国に行って、おれは暗殺者を辞めて働くよ。そうだ、孤児院を開こう。おれやシーアみたいに、親のいない子供を引き取って、みんなで一緒に暮らそう。それから……」
 少女は顔を上げ、涙に濡れた黒い瞳でじっと俺を見つめる。いや、俺の憑依している者を、暗殺者のシーアを見つめているのだ。
「あ、あの……わたし、雪が……見たいです。昔、教会の神父様に聞きました。寒い地方で……空から雪っていう小さな氷の塊が落ちてくるんです……冷たくて、白くて、ふわふわしてて、すごく綺麗なんだって聞きました」
「……ゆ、き?」
 雪とは空から降る細かな氷の結晶の事だ。雨すら滅多に降らぬウラウローで雪を見る事などまずあり得ない。俺も実物を見た事がないのだが……記憶がないのではっきりと断言はできんが。
「……分かった。一緒に行こう。雪がある国に」
 少女が頷くと、俺は……シーアは少女の髪を撫でる。
「お願いです……わたしを……一人にしないでください……もう、一人でいるの、怖いんです。あなたといる幸せを知ってしまったから……一人が怖いんです」
「絶対、離れないよ。シーア」
 シーアはこの少女を愛しており、少女もシーアを愛しておるのだ。

 一人で生きていくと言ったシーア。
 一人では怖いと言ったシーア。
 この二つの言葉と、このスラムの娘、そして暗殺者のシーアは共通して繋がっている。暗殺者のシーアは、この娘の言葉を代弁しておったのだろうか?
 いや、この娘は生きる希望を失くしておった。ゆえに暗殺者のシーアとは共通するものは、同じ名でしかない。
 俺たちの知るシーアは、なぜこの少女の名を自分の名として語るのであろう? 養父がたまたま同じ名を付けた、という訳ではあるまい。

 しかし……どうして俺がシーアの夢など見るのだ? アーネスたち、エルスラディアの夢だけでも理解できんというのに、この上シーアの夢など、どういった関連があるというのだ。
 いや、もしかして今回の夢は俺の空想か希望か?
 これほどに固く愛を誓っておきながら、この少女はなぜシーアと共におらんのだ? どうしてシーアは、この少女の名を名乗っておるというのだ?
 他者を寄せ付けない、踏み入らせないあのシーアと、少女の全てを受け入れ、信じ合い、愛し合っておる姿とが、どうしても結びつかんのだ。

 く……酷い頭痛だ。始めてエルスラディアの夢を見た時にも感じた、奇妙な頭痛。頭痛だけでなく、うるさい程に響き渡る、虫の羽音のような耳鳴りに俺は苛立ち、無意識に叫んでいた。声のない声で。

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