砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国、ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この者との出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ、過去から連なる歴史と秘密が紐解かれていくのだった。

なろう版

   雪

     1

 空腹を感じて目覚めるカルザス。そういえば昨夜、シーアが騒ぎを起こしたせいで夕食を食い損ねたのだ。
「おなか空きましたねぇ」
 カルザスは欠伸をし、のろのろと身支度を始める。
 やはり夢であったのだろうか。シーアと、シーアと呼ばれていた少女の夢。アーネスとアイセル、エルスラディアの夢。
 俺がそれらの夢を見る事に、何の意味があるのかまだ分からん。幸い今は多少なり時間の余裕がある。よい機会だ。カルザスに相談を持ち掛けるのも悪くなかろう。 
 ──おい、カルザス。話しておきたい事がある。少々長くなるが……。
 宿で提示された朝食の時間までにはまだ多少の猶予がある。あの夢の話をカルザスに聞かせて、意見を求めてみたい。
「はい、いいですよ。あ、でもお説教は嫌ですからね」
 ──そんな事ではない。俺は最近、不思議な夢を見るのだ。
「夢、ですか?」
 カルザスが手を止めて首を傾げる。
 ──そうだ。古代魔導帝国エルスラディアというものを、お前も知っておろう?
「ええ、知識としては。そう詳しくはないですけど」
 カルザスの実家は商家だ。商売の事や算術以外にも、歴史や地理、古代文献なども幼い頃から学んでいる。エルスラディアの夢の事をカルザスに相談し、意見を求める事は必ず俺のプラスになるはずだ。
 ──俺はそのエルスラディアの……。
 俺が語り始めた時だった。ドアがノックされ、ノブがガチャガチャと回される。何者かがドアの向こうにいるようだ。
「ああ、すみません。鍵を外してないんですよ。ちょっと待ってくださいね」
 カルザスが慌てて錠を外し、ドアを開ける。
「おはよ、カルザスさん」
「おはようございます」
 シーアだった。
 ええい、間の悪い奴め。別にこのままカルザスに話し続けておってもよいのだが、シーアも何か用があって部屋を尋ねてきたのだろう。二人の会話を同時に聞けるほど、カルザスは器用ではない。

 ──俺の話はまた後日でよい。シーアの話を聞いてやれ。
「はい。そうします」
「え? 何が?」
「ああ、すみません。セルトさんが何か話があるという事で、お聞きしてたんですよ」
 シーアは困惑したように指先を唇に当て、困惑気味にカルザスを見つめる。
「邪魔だったなら……出直すわ、私」
「大丈夫、お気になさらずに。どうせまたお説教でしたから」
 違うと言っただろう、俺は。人の話を真面目に聞いておるのか?
 俺は憤慨するが、ここで文句を言おうものなら、やはりまた説教だと臍を曲げる。気に食わんが俺が引き下がるしかあるまい。
「そう? じゃあ……」
 シーアは室内に入り、壁に寄り掛かって窓の外を見つめる。
「カルザスさんて……本当に私を助けてくれるの?」
「はい、もちろんですよ。改まって一体どうしたんですか?」
 シーアは長い髪を指先に絡め、目を閉じる。
「高いところから落ちて……いえ、落とされるの。落とされて、助けを求めてるのに、誰も手を掴んでくれないの。誰も助けてくれないの」
 突然何を言い出すのだ? 混乱しておるか、寝ぼけておるのかどちらかだな。
「沢山の命を奪ってきた私が、今更命が惜しくて助けてって言うのもおこがましいかもしれないけど……もし……もしもよ? カルザスさんは、私が殺されそうになってたら……どんな状況であっても助けてくれる?」
 シーアは苦笑し、床へと座り込んでぎゅっと膝を抱える。髪の隙間から覗く表情は固く、何かに怯えているようにも見える。
「……胸を刺されて、そのまま高いところから突き落とされる。そういう夢、ずっと見るの。何回も、何十回も、何百回も。やっぱり報いかな……? そうやって私は殺されちゃうのかな、誰も助けてくれないのかな。そう思ったら、なんだかすごく怖くなってきて……」
 膝を抱えるシーアの前に、カルザスは屈み込んだ。
「僕が助けてあげますよ。シーアさんが助けて欲しいと仰ってくだされば、僕が必ず助けに行きます」
 顔を上げるシーア。紫色の瞳に、カルザスの姿が映っておる。
「今まで死ぬ事なんて、怖いとは思わなかった。でも、今は……怖い。すごく、怖い」
「僕でよければずっと一緒にいます。頼りにならないかもしれませんけれど、僕に手伝える事があれば何でも仰ってください」
 自らの膝に顔を伏せ、シーアは片手を伸ばしてくる。カルザスはその手を握ってやった。
「……おれ、あんたを信じるから……お願いだ。手を振り解かないでくれ。あんたを頼らせてくれ。おれの傍から離れないでくれ」
「はい。頼っちゃってください。僕、力だけはありますから、シーアさんを担いでいく事だってできますよ」
「……うん」
 シーアが顔を伏せたまま頷く。そして声を発てずに笑う。
「……良かった……嫌だって言われたらどうしようって……こんな事、頼むなんて……ずっとずっと不安だったんだ」
「僕は嫌な方と、ひと月もご一緒しません」
「そうだよな。これからもよろしく」
「こちらこそ」
 シーアはカルザスの手を離し、立ち上がった。

「おなか空いてませんか? 実は僕、空腹で目が覚めたんです」
「うん。先に行ってて。後から行くから」
 立ち上がり、部屋を出ていこうとしたシーアはふいに足を止め、振り返る。そして再びカルザスに近付き、昨夜と同じように袖を摘まむ。
「あの、さ。ちょっと聞きたいんだけど、カルザスさんは……ここ、好きなの?」
「オグダムの事ですか? 初めて来た町なので、まだよく分かりませんね」
「オグダムじゃなくて、ウラウロー。この国、好きなの?」
 カルザスは指先を顎に当て、小さく唸りながら考え込む。
「そうですねぇ……他の国へ行った事がないですから比較対象が無いので明確な答えはないんですけれど……特別好きだとも言えませんが、嫌いではないですよ。一応生まれ育った国ですし」
「そう。じゃ、ウラウローを出て他の国に行くのって……抵抗ない?」
 はにかむように口許を綻ばせ、シーアは掴んでいるカルザスの袖を強く引く。
「ああ、それは楽しいかもしれませんね。どうせならシーアさんの故郷を探してみましょうか?」
「おれの故郷なんてどうでもいいんだ。今更知りたいとも思わないしね」
 シーアがカルザスの袖を手放し、石造りの天井を見上げる。
「じゃあさ……空から氷の粒が降ってくる〝雪〟ってものを見た事、ある?」
「雪ですかぁ……本か何かで見た事はありますが、実物はないですね」
「……見てみたいんだ」
 天井を見上げたまま、シーアは後ろ手に手を組む。
 ん? 微かだが声が震えているようだ。
「ずっと前に、おれには果たさなくちゃならない事があるって……言ったよね?」
「仰っていましたね」
「本物の雪をこの目で見る。それが……おれの果たさなくてはならない事。そしてできる事なら、雪でこの手の血を洗い流したい」

 雪……雪のある国……シーアと、シーアと呼ばれた少女。
 あの夢、正夢だというのか? あの夢は実際にあった事だというのか?
 夢は経験や願望に基いて見るものだと考えている。
 ならばどうして、あの熱砂の砂漠でシーアと出会うまで、こやつという存在すら知らなかった俺が、夢という形でその過去を見る事ができたのだ? 予知夢のようなものだったというのか? 記憶を失う前の俺には、予知夢を見る能力でもあったのだろうか?
「旅費を稼ぎながらになりますが、雪の降る国へ行きましょう。それ、いい考えですよ。ウラウローを出れば、もう暗殺者に追われるという心配は限りなくゼロに近付きます。ウラウローを出た時点で、シーアさんはただの詩人さんに戻れるんですよ。良かったですね」
「嬉しいなぁ……やっと願いが果たせるんだ」
 掠れた声でそれだけ呟き、シーアはじっと天井を見上げて動かずにいる。
「……僕、顔を洗ってきますね。朝食、先に召し上がっててください。すぐに行きますから」
「うん」
 カルザスはシーアを部屋に残し、逃げるように部屋を飛び出す。そして胸を押さえた。
「……驚きました……急に泣き出すなんて、どう声を掛けていいのか……僕、ただ雪の降る国へ行きましょうって言っただけですよ。なのに……」
 自分の罪を責めるような、自虐の念に駆られておる場合の対処ならば慣れておるようだが、今のようなケースは初めてだからな。カルザスが途惑うのも無理はない。
「雪の降る国に何かあるのでしょうか? 誰かが待っているとか」
 そうか、そういう事もあるかもしれん。
 夢で見たあの少女は、シーアより先にウラウローを出て、雪の降る国でシーアの到着を待っておるのかもしれん。暗殺者の頭首代行として身動きの取れなかったシーアが、あの少女を先に逃し、当人は出遅れておるだけなのかもしれんな。
 第三者であるこの俺から見ても、相思相愛であったシーアとあの少女。長く離れておったのだから、想いが募るのは自明の理(ことわり)だ。
「僕もちょっと楽しみです。雪って」
 雪か……俺に雪を見たという記憶はない。だが実際は見た事があるのだろうか? 本当の俺は……。

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