風薫る君

大好きな両親と家を失った幼い深咲を救ったのは、
銀の瞳を持つ美麗の双子の“きょうだい”だった。
妖が跋扈する緋ノ国に、疾風が舞う。迅雷が弾ける。

「……必ず、迎えに行ってあげるから」


     二

「深咲を匿いながら、これからも都で仕事を続けるのは、かなり難しいだろうな」
「たとえ他の都に逃れたとしても、陽ノ都は物資流通の要。陽の領主の影響力は、他の都でも充分通用するでしょう。一時的に避難したとしても、遠からず見つかってしまうでしょうね」
「ううん。難儀な事になっちゃったねぇ」
 宙夜たちや御國さんが、あたしを匿いつつ、これからの身の振りをどうするか、話し合っている。
 あたし、やっぱりすごく迷惑だよね。せっかくここに戻れたけど、みんなに迷惑をかけちゃうくらいなら、あたし一人で……。
「あの……あたし、やっぱり一人でお山に帰るっていうのは……」
 今、故郷のお山がどうなってるかは分からない。お父さんもお母さんも、領主さまの雇った人に殺されたって……園桜さんは言ってたから、帰ってもきっとあたしはひとりぼっち。でも大好きな宙夜たちに迷惑かけるくらいなら、一人でがんばって生きていく。あの住み慣れたお山でなら、きっとあたし一人でも生きていけると思うの。
 そう決心して発言する。すると。
「却下」
「却下します」
「却下だね」
 三人同時にダメって即答されてしまった。勇気を振り絞って決心したことだったから、却下って言われちゃったことに対して、思わずぽかんと呆けてしまう。
「船がありゃ、逃げ切れねぇかな?」
「あんな目立つもの、余計に足が付きますよ」
「はは。困ったねぇ」
「御國。お前、全然困ってねぇだろ。へらへらしやがって」
 あたしの意見はまるで無視され、三人の議論が繰り返されている。あたしはほぅっとため息を吐き、背中へと手を伸ばす。
 雷を放つ時、背中に骨の翼が生えるんだよね。今は無くなってるけど、でも前よりちょっとだけ、背中がゴツゴツしてるような気がする。自分で触った感触だけの判断だけど。
「誰もあたしを知らない場所とか、そういうのがあればいいのにね」
 今、問題になってるのは、あたしの存在そのものだもの。誰もあたしを知らなければ、あたしはまた普通の女の子として、正体を隠していけると思うの。背中の突起も、幸い、着物を着てればそんなに目立たないくらいだし。
「誰も深咲さんを知らない場所……ですか」
 眞昼が何か思い付いたように、口元に指先を添える。御國さんもポンと手を打った。
「それ! それがいいかもしれない」
「え、ええ? な、なに……?」
 ビクッと体を強張らせ、あたしはたじろぐ。
 御國さんが、宙夜と眞昼の肩に両手を置いた。
「宙夜、眞昼。深咲ちゃんを連れて、西の大陸に渡るといいよ」
「なっ……御國、何いきなり無茶苦茶な事……」
 西、の大陸? ……っていう、都があるの? あたしの頭の中は真っ白。だってあたし、自分の住んでいたお山とこの陽ノ都が、どういった位置関係にあるかすら知らないんだもん。急に別の都のことを言われても、それがどんな遠くか分かんない。
「妙案かもしれません。海を渡れば、さすがにこの小さな島国の領主の影響力など、到底及ばないでしょうし」
 海? えっと……海っていうのは、お魚がたくさんいて、お船が浮かんでたりする、あたしたちの住むお山や都を囲んでる、大きな池のことだっけ? 本物はまだ見たことがないけど。
「おいおい。そんな異国で、宛もなく、どうやって暮らしていけってんだよ。御國のつてか知り合いでもいんのか?」
 宙夜が胡座を掻いた膝の上に片肘をつく。
「ん? 特に無いねぇ。僕も大陸の内情はよく知らないから。あ、僕はここに残るよ。君たちだけで行くといい」
「あ、お前。それって、俺たちにだけ苦労させようって魂胆か?」
「そうじゃない。君たちは力を使わなくても、かなり棒術の腕が立つじゃないか。だから向こうへ行きさえすれば、仕事や、生活の資金面はどうとでもなるさ。僕がこっちの残るのは、君たちの防波堤になるためだよ」
 困惑するように口元に手を当て、眞昼は御國さんを見つめる。
「御國さん一人を残してしまっては、あなたの身が危険ではありませんか?」
「おい! 眞昼は大陸へ行くつもりなのか? お前が後先考えないような無謀な行動しようもんなら、俺はど……」
「宙夜黙りなさい」
 眞昼は宙夜をピシャリと黙らせる。こういう時の眞昼って、強いなぁ……。
 妹って言っても双子だから、二人の立場は同等だって考えていいのよね?
「消去法だよ。ここに誰かが残って防波堤の役にならないと、深咲ちゃんを庇ってどこかへ逃げたと、向こうに筒抜けになるだろう? 最悪の場合、街道や港を、先手を打って閉鎖されてしまうかもしれない。そうなったら本当に、逃げ道も打つ手も無くなってしまう」
 御國さんが二人の顔を交互に見る。
「防波堤役が宙夜や眞昼だと、何かあった場合の戦力の大幅な低下は免れない。僕の腕っ節に関しては、君たちより滅法宛てにならないしね。それにやはり君たちにも秘め事があるから、舌先三寸で煙に撒くのも難しいだろう。第一、君たち二人のどちらかを置いて行くなんて、お互いできないんじゃないかな? そう考えたら、僕が残るのが一番最善なんだよ」
「しかしそれでは、あまりにも御國さんの負担が大きすぎるのではありませんか?」
「あはは、僕の心配をしてくれるの? 大丈夫。伊達に長年、ここで運び屋の斡旋はやってないよ。問い詰められても、言い逃れには自信がある。さっきも言ったように、腕っ節は宛てにならないけど、眞昼とは別の意味で、僕も結構口は達者だと思うよ」
 あたしのために、みんないろいろ考えてくれてる。あたしなんかのために。
 西の大陸っていうところへ、行くのを躊躇ってるのは宙夜。御國さんを陽ノ都へ、残していくことに戸惑ってるのが眞昼。あたしたちを送り出して、一人で追手を引き受けてくれると申し出てくれたのが御國さん。みんながあたしのために考えてくれて、御國さん以外の二人は、自分たちの考え方を選んでいいものか迷っている。
 決断しなきゃ。あたしが決断しなきゃいけないんだわ。胸に手を置いて、あたしは数回深呼吸する。
 うん。あたし、決めた。
「……ねぇ、宙夜、眞昼! あたし、西の大陸ってところ、行ってみたい!」
 そこがどんな都か、どんな遠くかは分からないけど、でもあたしが決断しなきゃ、きっとみんなの意見はまとまらない。それぞれの思惑を汲み取って、舵取りするのはあたししかいない。だってあたしのために、それぞれ行動しようとしてくれてるんだもの。
 あたしがここで、以前のあたしみたいに消極的に黙っていたら、なにも解決しないと思うの。あたしが正しい訳じゃないよ。あたしを助けてもらうために、あたしにはみんなを引っ張る責任があるの。
「深咲ちゃんは決心したみたいだね」
「おい深咲。お前は西の大陸が、どんな場所かも分かってねぇだろ」
「うん。どんな遠い都か知らないよ。だけどそれしかないんでしょ? なら、いつまでも迷ってちゃダメだと思うの」
 宙夜が呆れたように、口をぽかんと開けてあたしを見てる。隣で眞昼が苦笑してた。
「西の大陸とは、海を越えた異国です。深咲さんが暮らしていた山よりずっと遠くにあり、一度行けばすぐに戻ってこられないような遠い場所ですよ」
 えっ! そんな遠くなの?
 思わず口ごもってしまう。でも……でもそれしかないんだよね。だったらあたしはもう迷わない。だって宙夜と眞昼と一緒だもの! 怖くなんかない!
「平気! だって宙夜と眞昼と一緒なんでしょ? だったらあたし、知らない遠くの国でも怖くない」
「向こうの国は、この緋ノ国(ひのこく)より遥かに古く、伝統と歴史のある小国が幾つも犇めいているのです。小規模にした緋ノ国のようなものが、より多く詰め込まれた、更に大きな国と考えればよいでしょう。比較的国交のある沿岸部ならまだしも、内陸に行けば行くほど、この国の言葉も常識も通用しなくなります。向こうの国ならではの、独自の思想や文化があります。そういった場所へ旅立つ事になりますが、本当に構いませんか?」
「どんなところでも平気だもん」
 本当は平気じゃない。言葉も常識も通じないって、意思の疎通も難しいってことよね? そんなの、すごく怖い。だけどあたしはもう決めたの。

 二人を説得しようと考えている時、ふいに、あたしの頭の隅に閃くものがあった。上手く形にならないそれは、あたしの中でモヤモヤしてる。でもそれが分かったら、もっと何か大きな進展がある気がするの。打開っていうか、この状況が切り開けるっていうか。
 あたしは一生懸命考えた。そのモヤモヤの糸を手繰り寄せて、思い付いたものをひとつずつ丁寧に自分の言葉に、考え方に、当てはめて置き換えてみる。
「……ねぇ。宙夜、眞昼」
 モヤモヤが徐々に形になってくる。
「古い歴史があるっていうことは、昔の人のいろんな知恵とか、便利な物が集まってるってことだよね?」
「んあ? ああ、まぁ……眞昼が喜びそうな、小難しい文献なんかもあるかもな」
「じゃあ……」
 あたしはぱぁっと笑顔になって、二人の前に身を乗り出した。
「じゃあね! じゃあ! 宙夜と眞昼が元に戻れる方法、あるかもしれないよね? 宙夜は男の人に戻りたいでしょ? 眞昼だって女の人に戻りたいでしょ? だったら、三人でその方法、探してみようよ!」
 突拍子もないあたしの提案に、宙夜も眞昼も目をパチクリさせている。
 さっき閃いたのは、このことだったの。緋ノ国にない文化になら、精神が入れ替わっちゃった二人の体を元に戻す方法が隠されてて、それが見つかるかもしれない。もちろんそんな方法、ないかもしれない。でも、探してみるだけ探してみたらいいと思うの! なにもしないで最初から無理だって諦めちゃうのは、きっとすごくもったいないことだよね?
「深咲ちゃん、それは素敵な提案だね。ご両親の件を切っ掛けとして精神が入れ替わってしまったのだから、向こうの発展した医術や学問の中に、元に戻す画期的な方法を発見できるかもしれないよ。この狭い国で手を拱(こまね)いて、現状にただ愚痴を零しているより、断然建設的な意見じゃないか」
「で、ですがわたしたちはもう、十年以上もこのままなのですよ? 今更……」
「深咲を守りながらそんな寄り道は……」
「だから大陸に渡るんじゃないか! 領主の息のかからない、異国の地に」
「そうだよ! この国より異国の方が、文化が進んでるんでしょ? ならきっと、宙夜と眞昼を元に戻す方法があるわ! それに向こうには、あたしを知ってる人とか絶対いないもん! 行こうよ!」
 お父さんたちの思い出がいっぱいあるこの国を逃げ出しちゃうのは悲しいけど、でもあたしの新しい家族である宙夜と眞昼の力になれるなら、あたしはもっとがんばれるし、もう、ちょっとのことで怖がったり尻込みしたりしない。あたしは変わるんだって決めたんだから。
「……どうするよ、眞昼?」
「宙夜こそ」
 二人はまだ迷ってるみたい。さっき眞昼はちょっと乗り気だったみたいなのに、どうしてまた迷っちゃうんだろ?
「あたし大陸に行く! 一人でも行くから!」
「さぁ。迷ってるのは二人だけだよ。どうする?」
 あたしと御國さんの追い打ちに、宙夜はあーっと、声をあげて髪を掻き毟った。
「ああ、くそっ! 分かった分かった! 行くよ。行けばいいんだろ! 眞昼も腹括れ!」
「わたしは元より、深咲さんに同行する気でおりましたが? 躊躇っていたのは、御國さんを置いていかねばならない問題の方です」
「あはは。眞昼、心配ありがとう。でもね」
 御國さんがいつも通り柔和な笑みのまま、指を一本立てて口を開く。そして器用に片目を瞑った。
「僕はへっちゃらさんだし、大丈夫だから」
 自信に裏打ちしたかのような、重みのある言葉。言い方は軽いのに、その言葉にはどこか人を安心させて、納得させるような響きがある。
「そ、そこまで仰るのでしたら……」
「御國も無理すんな。深咲の事は俺たちに任せろ」
「うん。君たちならできる。信じてる。だから深咲ちゃんを頼んだよ」
 西の大陸……全然知らない異国。誰もあたしたちを知らないし、あたしたちは頼れる人もいない。どんなところか想像もつかない。
 だけどそこで、あたしの新しい生き方を見つけられるような、そんな漠然とした期待が胸を掻き鳴らすの。そしてきっと宙夜と眞昼も、新しい何かを見つけられるわ。きっと、必ず。
 あたしたち三人がいれば、きっと奇跡は起こせるって、あたしの心に誰かが語りかけてくれてるような気がした。

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