Light Fantasia

オウカという国には各国から腕自慢が揃う冒険者組合がある。
名(迷)物補佐官でありながら冒険者でもあるファニィ、美貌の怪力美女ジュラフィス、
健気で超天才児のコートニス、生真面目で世話やき基質のタスク。
凸凹四人組が織りなすハチャメチャファンタジー!


     古き記憶の穴から

       1

「ファニィさん! そこ、元締め様のサインですぅ!」
「キャーッ! ごめん間違えた! 悪いけどもう一枚同文書作成して!」
「は、はいっ! あ、あの……でもっ、ごめんなさい! こっちが終わったらにしてくださいぃ!」
「ファニィ、わしのインクが切れた。代わりのインクはあるか?」
「あたしに言わないで自分で備品庫から予備取ってきてよ!」
 執務室へ休憩を促すためのお茶を運んで行くと、そこはうず高く積まれた書類に悪戦苦闘する、組合トップスリーの阿鼻叫喚地獄絵図が広がっていた。

 今日は朝から元締めとファニィの姿はもちろん、コートの姿も見ていないと思い、事務関係の仕事が忙しいのだと予測して、昼のラッシュとジュラさんの食事の面倒を見た後、労いと休憩を促すためにハーブティーを用意して執務室へ向かったんだ。ドアをノックしても返事が無いから、いつも通り勝手に開けると……この有り様だった。
 補佐官であるファニィはもちろん、普段はあまり呼び出されないはずの書記官であるコートも駆り出され、三名が三名とも目を血走らせて、背丈より高く積まれた書類の確認とサインとハンコ押しという、単純かつ暴力的な事務作業に追われまくって殺気立っていた。
 俺は執務室に蔓延した空気に完全に気圧されて、お茶を載せたトレイを手にしたまま声を掛けるタイミングを見失う。
「ちょっとコート! あんたココんトコのスペル間違えてる!」
「ファニィさんだって通し番号をひとつ抜かしてます!」
「二人共、今は言い争いをしている時間は……」
「元締めが一番ミス多いんでしょ! 元締めの尻拭いに一番時間掛かってんだからね!」
「僕、今日は元締め様のミスで再作成した文書が二桁超えてます!」
「……う、む……すまん……気を付ける」
 ファニィは普段はアレでも、元締めに対してはちゃんと敬意を払う態度を取っているんだが、今日は頭ごなしに怒鳴りつけている。そして普段内気なコートですら、元締めに向かって強気な発言を繰り返しているのだから、状況は俺が考えるよりよほど切羽詰った深刻なものなんだろう。
 俺は無言のままハーブティーを淹れたトレイを手にして、極力静かに執務室を後にした。空気を読まずに呑気にお茶休憩しろなんて声を掛けたら間違いなく、俺はファニィとコートから凄まじい罵詈雑言を浴びせかけられる。向こうの状況もちゃんと理解していない俺なんか、何も言い返せる訳がないじゃないか。

「あ、タースク」
 姉貴の声がして、俺が振り返るより早く、後頭部を平手でバシンと叩かれた。いつもの挨拶だから気にはしてないが……もうちょっと力の加減ができないもんかね? かなりスナップの利いた一発だった。
 俺は片手で後頭部を擦りながら振り返る。案の定、そこに姉貴がいた。また組合の会議室で講義でも頼まれてたんだろう。魔法学以外にも、姉貴の知識は冒険者に有益となるものも多いからな。
 賢者と肩を並べる博識者として組合に所属するコートには、大勢を前にしての演説や講義なんかできないだろうし。病的な照れ屋であがり症、内向的な性格から来るデモ・ソノ・エットのどもり以前に、蚊の鳴くような小さすぎる声が聞こえない。
「なぁ、タスク。ウチの可愛い弟子、見んかったか?」
 コートに純白魔術を扱える素質があると分かり、姉貴はコートの師匠として、コートに魔術の手ほどきをしているんだ。俺にかけられた呪いに対抗し得る唯一の手段だから、その辺はしっかり教え込んでいてもらいたい。姉貴ならやってくれるはずだ。
「コートなら執務室で缶詰だよ。書類の山に埋もれてた。元締めとファニィも一緒だ」
「なんやぁ、そうなんか。あの子、書記官やったっけ?」
「そ。今、声を掛けようもんならぶっ飛ばされそうな覇気だったぜ」
 姉貴が俺の手にしたトレイを見て、ふふと苦笑する。
「お茶一つ置いてこられへんような状況やねんね。ほな仕方あらへんかぁ」

 俺と姉貴は二人並んで食堂へ向かった。そしてファニィ達に出し損ねたお茶を二人で向かい合って飲む。
「コートの方はどうなんだ? 相変わらずサボり半分、本気半分か?」
 ジュラさんが無意識下で、俺に対して少なからず好意を持っていると知ったコートが、拗ねていじけて俺やファニィに多大な迷惑を掛けたあの日以来、コートは姉貴の講義を時々サボるようになった。サボッて俺の様子を見に来るんだ。
 サボると言っても、元々真面目なコートだ。講義の時間に遅刻して行ったり、何かと用事を作って講義自体を早めに切り上げさせたりと、講義全てをサボる訳じゃない。そして俺のところへ様子を伺いに来ては、特に何をするでもなく、じーっと俺を柱の影から観察してやがるんだ。
 姉貴もコートの行く先が分かっているから、わざわざコートを連れ戻そうとはしない。よほどの事が無い限り、自分から率先して動こうとはしないからな。
「そやねぇ。ウチが考えてたよりは遅れてるけど、まぁまぁ順調ちゃう?」
 姉貴が順調と言うくらいだから、割とはかどっているんだろう。姉貴の講義はかなりスパルタだからな。コートも根を上げずにいるんだから、俺が考えているより、コートと姉貴の師弟関係の相性はいいのかもしれない。
「今日は多分一日中無理だぞ。さっきの様子ならな」
「そうかぁ。残念やね。最後の日くらい一緒にどっか行きたかったんやけど」
「最後?」
 俺がおうむ返しに問い返すと、姉貴はニコリと笑ってカップをソーサーに置いた。
「ウチ、ジーンに帰るわ」
 突然の姉貴の言葉に、俺はカップを落としそうになる。
「帰るって……まだ例の物、取り返してないだろ」
「そやねんけど、昨夜な、おとんとおかんに連絡取ったら、ええ加減、早よ帰れって怒られてしもて。女王はんもさすがに苛立ってはるみたいやねん。ちょっと長居し過ぎたわ」
 姉貴の水鏡の占術に、風の高位魔法にある伝達の魔法を組み合わせれば、遠く離れた者同士でも交信しあえる。俺にはできない芸当だが、姉貴や両親なら容易く扱える魔法だ。
「なんや向こうでも厄介事、起こっとるみたいでな。女王に仕える賢者不在でエライ騒ぎになってしもてるらしいねん」
 ま、考えれば当然だ。女王のご意見番で代理口答の役割である賢者が不在だなんて、問題が起これば大変なのは誰の目にも明らかだからな。ジーンの賢者は姉貴一人じゃないが、それでも姉貴一人抜けるだけで、他の賢者に課される負担は増える。
「アレの事はファニィちゃんに任してるさかい、ウチは安心して一足先に帰れるわ」
「そっか……俺も出来る限り手伝うし、きっと取り返してくるから、もうちょっとだけ待っててくれよな」
「うん。あんたにもちょっとだけ期待しといたるわ。しっかりしぃや」
 姉貴はカップを持ち上げ、ハーブティーを飲み干した。
「ああ、そや。もう一つ」
 姉貴がお茶のおかわりを催促するので、俺はティーポットから姉貴のカップにお茶を注ぐ。
「あんたがオウカにいてるゆう事は、おとんにもおかんにも言うてへん。取り返したモン、あんたが持ってくるなり別のお人が持ってくるなり、ファニィちゃんとあんたの判断に任せるわ」
 修行するという大義名分掲げて、実際はただ家出しただけの俺を、姉貴は両親たちには知らせず黙っていてくれると言ってるんだ。なんか……姉貴に頭、上がんねぇな……。
 俺は苦笑しながら小さく頷いた。
「でもこれだけは言うとく」
 姉貴が目を細めて笑みを浮かべる。賢者としてのものではなく、ただ一人の、不出来な弟に対する、姉としての顔。
「ウチもおとんもおかんも、あんたの事、ホンマ心配してるんやで」
「……ああ。その……ありがとう、な……」
 俺はなんだか照れ臭くなり、姉貴から顔を背けた。
「あんたの気持ち、整理できたら、いつでも戻っておいでや。余計な心配はいらへん」
「ああ……」
 魔術師である事を気にしなくてもいいって事だろう。姉貴や親父たちだけは、何があっても俺の味方でいてくれる。俺は姉貴たちに守られ、庇護され、だから、生きていける。絶望しなくて済む。言葉じゃ、感謝しきれねぇよな。
 本当に心の整理がついたなら、ジーンに帰ろう。魔法使いになれてもなれなくても。帰って無事な顔を見せる事が、俺ができる唯一の恩返しだ。

 姉貴は結い上げた髪から零れるひと房の髪に指先を絡める。そして唇の端を笑みの形に吊り上げた。
「そやなぁ……その時はついでに、甥っ子か姪っ子の顔も見たいわぁ」
「そっ! それはさすがに……ちょっと……気が、早過ぎるだろ……」
 尻すぼみに自然と声が小さくなる。顔が熱い。俺がファニィに惚れてるって事は、姉貴に完璧にバレちまってるからなぁ……。これからもきっと、何かにつけてからかわれる。間違いない。
「ああ、そうやね。これはさすがに無理やんなぁ」
「そ、そうだよ。当然だろ。だって俺とファニィはまだ……」
「しゃーないなぁ。コートニス君、男やもん」
「なんでそこでコートなんだよッ!」
 俺は思わずテーブルを叩いた。
 姉貴が愉快そうに口元に手を当ててニヤニヤしてやがる。
「あんたモテモテやん、コートニス君に。ウチの講義サボるくらい、あんたに惚れてんやろ、あの子? 撫でくり回したなるくらい可愛らしい顔して、あんたの事、好きでしゃーない言うとったよ」
「姉貴にまで言いふらすか、あのクソガキは……」
 恥ずかしいとか苛つくよりもまず、頭が痛くなってきた。コートにしろ、ジュラさんにしろ、なんでよりによって俺なんだ? ラシナの民は揃って美意識の高い人種なはずだろうが。あの美形姉弟が揃って、外見印象が決していいとは言えない俺を選ぶ理由がまず分からない。
「最初はちょっとびっくりしたけど、コートニス君やったら構へんで! あの子別嬪やし! 姉ちゃん応援したるで! 頑張りや!」
「何を頑張るんだ何を! コートがそれなりに可愛いのは認めるが、俺は断じて違う! アレと一緒にしないでくれ。俺はノーマルなんだ!」
「ちゃうちゃう。それなりに可愛いんやない。ごっつう可愛いんや」
 鼻息荒く、姉貴力説。
 そもそも姉貴と言い争う論点からして違っていた。これ以上、何を言ってもどんな反論しても無駄だ。そもそも俺が姉貴に勝てる見込みは、あらゆる点で永遠に一切無い。皆無である。断言できる。

「勝手に言ってろよ。それで? いつ帰るんだよ、姉貴は?」
「明日や」
「おいおい……随分急だな」
 さすがに俺も複雑な気持ちになる。
 姉貴の趣味とも言える弟いびりには辟易するが、実際いなくなると分かると寂しくもある。無意味な意地張って帰らない連絡しないという俺も悪いが、せっかく久しぶりに会えたのに。
「情けない顔しいなや。いつでも姿くらい、見られるやん」
「俺には、姉貴が使うような水鏡の魔法は使えねぇの。悪かったな、不出来な弟で」
 俺が不平を漏らすと、姉貴はテーブルに両手を置いて微笑んだ。
「分かってんやったら、もっと修行しぃ」
 修行でどうにもならない事は、姉貴が一番よく分かっているはずだ。でもあえて、そう言ってくれる事が俺には嬉しい。炎の魔神の呪いだとかいう訳の分からない、先の見えない呪縛に気持ちが絡め取られないで済むからだ。
「オウカには一端の魔法使いがいないし、魔術師はもっといないだろうから……コートの修行は俺が引き継げばいいのか?」
「そうや。呪文とか構築式はもう大体覚えたんよ。でも魔力の循環と供給解放が不安定やねん」
 魔法であっても、魔術であっても、自分の体内にある魔力を循環させて供給解放するという手順は同じだ。一人前の魔法使いになる最大の難関は、自分が宿す魔力を安定供給させる事で、魔法を習いたての初心者が最初にぶつかる壁がこの部分なんだ。
「物心つく前から教え込むのと、そうでないのじゃ飲み込みが違うからなぁ……」
 ジーンの人間の大半が魔法使いであるのは、生まれた時から魔法使いになれという教育をされる賜物だ。だから外部から魔法使いになりたいとジーンにやってくる人間は、大抵この魔力循環の辺りで挫折を経験する。
「そうやねん。コートニス君は物覚えはごっつうええねんけど、ブキッチョさんやからね」
 あいつの本業はからくり技師だから手先は器用だし、頭が良くて機転も利くので物覚えの早さは常人を遥かに凌ぐ。だが生きる術というか、世渡りの下手さというか、そういった面の壊滅的不器用さは、他人がどうこう教えてすぐ直るものではない。
 精神的とも感覚的ともされる魔力の循環の得手不得手は、物質的な器用さとは結びつかない。魔法に携わらない者が、普段の生活に全く活用する機会のないものをコントロールする事は、幼い頃から訓練しているのとそうでないのとではかなりの差が出る。物心付く頃にはすでに神童だと謳われてきた姉貴でも、魔力のコントロールにはかなり慎重に時間を割いて修行してきたんだ。当然未熟な俺は、姉貴の更に倍の倍以上は。
「魔力の循環とか安定供給くらいやったら、あんたでも教えられるやろ?」
「ああ。純白魔術の基礎知識も、一応は全部覚えてる」
 暗黒魔術師である俺には扱えない純白魔術だが、知識だけは身に付けてある。手本を実践して見せてはやれないが、万が一にもコートが構築式を忘れたと言っても、口頭で教えるだけなら俺でもできる。いざとなったら意識の同調という手も使えるしな。
 ……コートと意識の同調か……む、無理かも……。
「ほなウチ、荷物纏めなアカンさかい、宿に戻るわ」
「俺に手伝える事はないか?」
「いらんいらん。あんたに手伝うてもろたら、余計に時間掛かってしゃあないわ」
 姉貴は椅子から立ち上がり、ポンと俺の肩を叩いた。
「手伝いはいらんから、明日とびっきりの弁当作って見送ってや。当分、あんたの作るご飯ともお別れやしな」
「分かった。コートとファニィとジュラさんも誘って、明日見送りに行くよ」
 食堂を出て行く姉貴の背を見送り、俺はポットとティーカップを片付けた。

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