LOST PRINCE

「死を意識するなんて何度目だろう?」
スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。

豪胆な女性マーシエとの出会いが、
スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。


     3

 マーシエが立ち去ってから、フェリオはいつも通りジョアンと過ごしていた。ジョアンの淹れてくれたお茶を飲み、彼女は編み物をし、時折短い会話をする。
 穏やかなひとときだった。
「僕の父さんと母さんが殺されたのって、母さんがちょうどジョアンさんくらいの年の時だったんだ。だからジョアンさんは母さんみたいな感じがして。あ、ごめんなさい」
「いえ、構いませんよ。私はまだ独り身ですが」
「やっぱり怒ってる」
「怒っていません」
 二人は同時に吹き出した。
「ジョアンさんはここで一人で、僕だけのメイドさんなんだよね?」
「そうですよ。それが何か?」
「お喋りしたりする友達がいなくて寂しくないのかなって。マーシエさんやヘインさんも忙しいから、そんなにゆっくりお喋りしてられないでしょう?」
 ジョアンは編み物の手を止めて、ふふっと笑って見せた。
「手の掛かる殿下のお相手をしておりますので、寂しいだなどとは思っておりません」
「ご、ごめんなさい……」
 そこでまた、二人同時に吹き出した。
「そうだ、ジョアンさん。もう一つ聞いてもいいですか?」
「はい、なんでしょう?」
 フェリオが言葉を続けようとした時だった。ふいに外が騒がしくなった。ジョアンの顔付きが変わる。
「確認してまいります。どうかお静かにお待ちください」
 ジョアンが一礼して部屋を出て行く。フェリオは不安になり、彼女の後を追おうと立ち上がった。
 扉の外から怒号が聞こえる。スラムで孤児狩りに追われている時や、決起会で何度も聞いた、兵士の感情の昂ぶりから発せられる声。
「この場所が見つかったんじゃ……!」
 フェリオは慌てて外へ飛び出し、耳を済ませた。

「……オーベルを探せ!」
「……邪魔者はする者は殺せ!」

 この隠れ家は幾つかの大岩をくり抜き、半分だけ埋めて地下の部屋を左右に振り分けるようにして成っている。基本的に道は一本道なので、ここへ兵士が到達するのは時間の問題だった。
「ど、どうしよう……」
 戦う術は持っていない。かといって隠れ家の奥まった場所にあるこの部屋には隠れる場所もない。フェリオが狼狽えていると、奥から誰かが走ってきた。マーシエだった。
「フェリオ! 何の音だ? どうしたんだ?」
「マーシエさん! たぶんデスティン王子の兵士が襲ってきてます!」
「なに? じゃあ、あたしが食い止める。あんたはベッドの下にでも隠れてな」
 マーシエが部屋へ押し戻そうとする。彼女もここに逃げ場がないと分かっているのだ。
「そんなのすぐ見つかっちゃうよ!」
 孤児狩りで何度も追われた経験から、ベッドの下など真っ先に見つかる場所だと熟知していた。フェリオは考え、思いついた事をマーシエに告げる。
「オーベル王子が何か考えてくれるかも!」
「魔術か! ならフェリオはオーベルの部屋へ。ただしもう逃げ場は無くなるからね?」
 かの王子の秘密の部屋は、この隠れ家の一番奥まった場所にあるのだ。当然裏口などない。完全な行き止まりなのだ。
「王子ならきっと何か考えてくれます」
 フェリオはマーシエと頷き合い、そして別れた。

 そのままオーベルの部屋へ飛び込み、急いで扉を閉め、内側から鍵を掛ける。外側の錠前以外にも鍵が付いていた事に、ほんの少し安堵する。
「王子! オーベル王子!」
「フェリオか? 外はどうなってる?」
 フェリオはパーティションカーテンを開き、オーベルの間近まで歩み寄った。そして掻い摘んだ説明をする。
「僕もまだはっきり分からないんですけど、たぶんデスティン王子の兵士がこの隠れ家を見つけたみたいなんです。逃げ道が塞がれてて、王子なら何とかできるかと思って……」
「おいおい。俺は自分で動く事すらできないんだぞ。何とかしろったってなぁ」
 のんびりした口調でオーベルは言うが、その目は爛々と輝いていた。彼に直接襲われる事はないだろうが、自分は狙われているのである。フェリオの鼓動が緊張で早くなる。
「フェリオ、俺の背後に魔術で使うメイジスタッフはないか?」
 使用目的が分からないものばかりの道具の山の中に、彼に言われたようなものはパッとは見当たらない。しかし部屋の隅に、埃をかぶった捻れた棒きれがあったので、フェリオは彼の前まで行ってそれを差し出してみる。
「アスレイさんがこれと似たようなのを持ってますけど、違いますか?」
「おう、それだ。俺の傍に立てかけてくれ」
 フェリオは一瞬戸惑ったが、意を決するようにオーベルに近付く。すると臓器の生々しさが余計に目に付いた。
 ビクビクと脈打つ心臓、ぬるぬるとテカった腸、どれもが生々しく蠢いていて気味が悪い。
「そんな嫌な顔するなよ。俺の影だろう?」
「す、すみません……」
 フェリオはメイジスタッフを、オーベルが置かれた台座に立てかけ、離れた。やはり異質な彼の傍にいる事が気味悪いのだ。
「魔術で一時的にこの部屋自体を行き止まりに見せかける幻で包む。モノが消える訳じゃないから、お前は物音を立てるなよ。見つかると術が消滅する」
「は、はい」
 やはりオーベルを頼って正解だった。フェリオはオーベルの台座の背後へしゃがみ込んで身を隠し、息を潜めた。
「──、──」
 オーベルが聞き慣れない言葉を発する。すると一瞬だけ室内が光に包まれ、何事も無かったかのように静まり返った。
「術は発動してる。静かにしてろよ」
 オーベルに言われ、自分は今、幻の中にいるのだと理解した。しかし目で見えるものは何一つ変わっていない。オーベルとて自分の身の危機に嘘は言わないだろうが、〝何も変わっていない〟事が、フェリオの不安を煽った。

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