LOST PRINCE

「死を意識するなんて何度目だろう?」
スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。

豪胆な女性マーシエとの出会いが、
スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。




なろう版   カクヨム版


     3

 剣の切っ先は下を向いているが、彼の実力なら、こちらが攻撃の構えを取る前に、手にした大剣がこちらの首を跳ねるだろう。デスティンは切っ先を揺らしながら、斜に構えてオーベルをじっと見ている。
 台座に立てかけられたメイジスタッフの向こうから、首と臓器だけのオーベルは、ニタリと笑いながらデスティンを見ている。
「マーシエの腕も貴様が妖しい術で作ったのか?」
「俺の手を与えたんだよ。マーシエは俺のおかげで生き永らえた。そうだろう、マーシエ?」
「ああ、そうだよ。だからあたしはオーベルに従う。オーベルのために働き、この剣を振る。あたしはオーベルに膝を折った騎士だ!」
 マーシエは剣先をまっすぐデスティンに向けている。
「やれやれ。室内では俺の剣はいまいち冴えないんだが……やるしかないな」
「あたしは最初からそのつもりだったんだ! 来な、デスティン!」
 マーシエが剣を振り上げて大きく踏み込んだ。デスティンは鞘で彼女の剣を受け止める。そして片手に下げていた剣を大きく凪いだ。マーシエは身をよじってその剣撃から逃れる。
 フェリオはオーベルの台座に隠れたまま、懸命に彼女を応援した。

 ガシャンと、室内に積み上げられたオーベルの魔術道具が散らばる。それはマーシエの剣によって弾き飛ばされたものであり、デスティンの剣気に当てられて叩き落とされたりしたものだ。
「腕を上げたな、マーシエ」
「あんたを殺さなくちゃならないからね」
「恨まれたものだな」
「当然だ!」
 マーシエは再び鋭い剣撃を彼に振り落とした。しかし彼はまだ余裕の表情で、彼女の剣撃を弾いて受け流す。
「逃げてばかりいないで、あたしと戦え!」
「そんなに早死にしたいか?」
 デスティンは素早い剣撃を繰り出して来た。マーシエはとっさに防御の構えを取る。すると剣が甲高い音を立てて折れた。デスティンの力技に剣が先に打ち負けたのだ。
 鋼鉄の剣を力技で叩き折る──それがどれ程凄いものなのか、フェリオは目の当たりにして声を失っていた。
「終わりだ!」
 マーシエは折れた剣を捨て、腰を抜かして逃げ出したデスティン軍の兵が落とした剣に飛び付き、拾い上げた。そのまま返す手で、デスティンの腹部を狙う。
 待ち構えていたように、デスティンは彼女の攻撃を手甲で受け、そして剣を持つ彼女の手首を掴んだ。
 グニャリとした異様な手触りに、デスティンの表情が歪む。そのまま、彼女の長手袋を引っ張って取り去った。
「うっ……」
 腐敗して、骨と腐った肉だけになったマーシエの右手。さすがのデスティンもそのおぞましさと腐敗の臭気に眉を顰める。
 マーシエはとっさに身をよじり、体で腕を隠した。
「なるほど。腕が腐っていたからあの感触か。そんな臭い腕を付けてまで、オーベルに従う気が知れんな」
「黙れ! 元はといえば、あんたがあたしの手を奪ったからだ!」
 彼女は絶叫するように吐き捨て、落ちていた手袋を急いではめ直した。
 隠れて見ていたフェリオも、マーシエの剥き出しの腐敗した手に、思わず口を押さえてしまう。いつでも凛々しく美しいマーシエに、あんな醜い手が付いていると、声を失っていた。
 以前一度だけ、腐敗を止める薬液に浸した時の腕は、まだもう少し人の腕の形だったが、今見た彼女の腕は、もはや化け物や死体と称していい域まで腐敗していたのだ。
 肉はドロドロに溶け、細い筋や骨が剥き出しになっている。彼女がほんの少し動くだけでも、腐肉はドロリと崩れ溶け落ちた。そこまで腐敗の進行した、醜い腕だったのだ。長手袋で隠したくなる気持ちも充分理解できる。
「オーベル、貴様は惨いな。マーシエをこのようにしてしまうとは」
「惨くも酷くもならねば生き抜けん。俺は死ぬわけにはいかないんだ」
「だとしても、マーシエを巻き込む事に、躊躇いはなかったのか? 認知されていない腹違いとはいえ、オレたちの妹ではないか」
「マーシエは俺の手足だ。そうだろう?」
「ああ。あたしはオーベルの手足。女である前に一人の騎士だ」
 デスティンとオーベルの、いつまでも平行線の会話に、フェリオは戸惑いを感じ始めていた。

「そうだ。オーベルにマーシエ。さっきの声の主は誰だ?」
「あんたには関係ない! 出て行け!」
 マーシエが奪った剣を構えたまま叫ぶ。彼女は完全に頭に血がのぼり、正常な判断力を欠いている。それゆえに、彼女が口にする語気の荒い言葉が、デスティンを刺激する事がなにより危険だった。動けないオーベルが殺されでもすれば、おそらくマーシエにまで何らかの影響があると予測できたからだ。

 屍操術──死体を操る術。
 マーシエとオーベルは死体も同然。
 そんな事を言っていたのを、フェリオは思い出していた。

 この場に居合わせる皆が、デスティンもオーベルも、マーシエさえ恐ろしい。怖い。
 そういった感情に支配されつつも、フェリオの頭はなぜかひどく冷静だった。心が萎縮しているはずなのに、とても清々しく落ち着き払っていた。

 デスティンはマーシエを戦に巻き込むまいと、彼女の腕を斬り落とした。それは間違った独り善がりな愛情ゆえに。
 マーシエは恩をもらったオーベルの手足となって、デスティンに立ち向かっている。ひとえにオーベルへの恩義ゆえに。
 オーベルはデスティンを倒したい一身で、自身を化け物へと変えた。ただひたすらに、研究心、探究心を満たしたいがために。

 それぞれの断片的な思いや事実を組み合わせてみると、皆の思いは全てすれ違っている。そして各々が、自分の思想を優先しようとして、利己的になっていたのだ。
 今、まだデスティンには話を聞く気持ちがある。マーシエは今にも飛び出してしまいそうだが、デスティンが話を聞く状態にあり、オーベルも彼を挑発しているだけの今なら、フェリオの望んだ話し合いができるかもしれない。
 フェリオは息を飲み込み、自身の弱気な気持ちを奮い立たせる。そしてゆっくりと、立ち上がった。


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