LOST PRINCE

「死を意識するなんて何度目だろう?」
スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。

豪胆な女性マーシエとの出会いが、
スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。




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   揺らめく秘密

     1

 毎日決まった時間に起こされ、身支度を整え、食事をし、そして礼儀作法や王子としての教養を身に付けさせられる。スラムで暮らしていた時には考えられないほどの、豪華な待遇と堅苦しい勉強。小心者のフェリオは、初めこそ何に対しても怯えながら過ごしていたが、徐々にこの生活に慣れてきた。
 人付き合いに関しては、相変わらずマーシエとジョアン以外の二名、アスレイとヘインに一線は置くものの、もう強い恐れは抱かなくなっていた。
 だが不満が無いわけではない。
 この秘密裏に隠れているという、大岩を繰り抜いた隠れ家から、まだ一歩も外へ出た事がないのだ。部屋を出る際は、常にジョアンが付き従い、彼が知らない部屋に興味を示そうものなら、「あなたには関係の無い部屋です」と、中を見るどころか扉を開けさせてももらえない。
 王子としての待遇を受けているはずが、いつの間にか囚われた奴隷として扱われているのではないかと、錯覚を起こす日もあった。
 王族の覇権争いのために、スラムの孤児、つまりフェリオを打算的に利用している──最初から告げられていた事ではあるが、ここでの生活で、それを身に染みて強く感じる彼だった。

 いつも通り、ジョアンはフェリオの朝食を運んできた。そして新たに室内に設置した、小さな丸テーブルに食事を用意する。水差しから水をグラスへ注ぎながら、彼女はフェリオの方へゆっくりと体を向けて礼をした。
「用意できましたので、どうぞお召し上がりください」
「ありがとう、ジョアンさん」
 フェリオは椅子に腰掛け、そっとフォークを手に取る。そして肉に添えられている、ソテーした野菜を刺した。
 すぐ隣でジョアンはコホンと咳払いを漏らす。
「殿下。食事の際は、ナイフも一緒に使ってくださいと申したはずです」
「あっ……すみません……」
 食器などスラム時代にはほぼ使った事がなかったのだ。一度付いた悪癖はなかなか治らない。当初のように、手掴みで食べなくなっただけマシだろう。
 フェリオは四苦八苦しながらナイフの切っ先を使ってフォークへ野菜を運ぶ。
「ナイフは切り分けるもので、食材を移動させるものではありません」
「す、すみません……」
 慣れない使いにくい食器に、フェリオは俯いて肩を落とす。
「俯く癖も直してくださいと申したはずです」
 普段は優しいジョアンだが、礼儀作法を教える時は厳しい。僅かなミスも、すかさず指摘してくる。
 窮屈な作法を学びながらの食事は、ほとんど味が分からない。ただ立派な体を作るために、偽物として形を真似るために、無理に摂らされる食事。
 勉強や躾の意味合いが濃い味気ない食事ではあったが、口に入ればその日を生きられる。だから感謝して食べる。ピオラたちを思いながら、彼女らの分まで生きるために食べる。そう思うから、余計に胸が苦しくなって、食べ物が喉を通りにくくなる。
 もう元には戻らない、同じ事の繰り返しに、彼は少し心が疲弊してきていた。
 フェリオにとって、ジョアンから受ける礼儀作法の躾は、この上なく窮屈なものだった。しかしそれをこなさなければ、王子の身代わりなどできない。よって、フェリオは必死に自分を鼓舞して彼女の指摘を受け入れる。
 ピオラのために。スラムの孤児たちのために。
 幾度繰り返したか分からないほど、それらを頭の中に刻み付け、ジョアンの指示に従った。

 ひと通りの食事が終わると、少し休憩したのちに、歩き方などの所作を教わる。俯き加減で背を丸め、歩幅の小さい歩き方は、初期の頃に徹底的に矯正された。なので今は、背筋を伸ばしてまっすぐ歩く事ができるようになった。
「歩幅を小さく歩くのではなく大仰に構えて歩いてみてください」
 フェリオは胸を張り、ゆったりと歩く。するとジョアンは満足そうに頷いた。
「大変結構です。この短期間で、歩き方は随分良くなりました」
 ジョアンに褒められ、フェリオも嬉しくなって頬が緩む。体を動かす所作の躾は、フェリオにとって比較的受け入れやすいものだった。
「歩く事の次は何をすればいいんですか? 喋り方とかですか?」
「いいえ」
 ジョアンは両手を腹部の辺りで合わせ、小さく首を振る。
「フェリオ君がオーベル派の兵士の前へ立つ時、一切喋らなくて結構です。顔形をぼかす意味での薄いヴェールのカーテン越しにしか姿を表さないで結構ですし、兵士たちへの言葉は、ヘイン騎士長が全て執り行います。アスレイ師もマーシエ様もヘイン騎士長の後ろに控えているだけです」
 彼女の説明にフェリオは疑問を抱く。
「一番偉い人が喋らなくて、兵士の人たちは命令を聞いてくれるんですか?」
「ええ。兵士はヘイン騎士長の言葉を忠実に守ります。フェリオ君が殿下として姿を表すのは、ヘイン兵士長の箔付けのようなものです」
 王族と兵士の奇妙な関係に、今までそういったものと無関係だったフェリオは奇妙な違和感を覚えた。
 兵士に自我はないのか? 指示された事に従うだけなのか? 王族が兵士たちを纏めるの最高位なら、王族の言葉に兵士は従うものだと思っていた。ヘインは騎士長だが、所詮は兵士。そんな同列の仲間の命令に、下っ端の兵士は従うものなのだろうか? そういった各々の立ち位置といったものが彼にはまるで分からなかった。
「じゃあ僕は本当に座っているだけなんですね」
 楽な仕事だとは思わない。しかし覚える事に対して演じる事が少なく、もっと大変なのだと思っていただけに少々肩透かしを食らい、しかしあまりに覚える事に対して演じる事が少なく不安であった。これで本当に、スラムの孤児たちを救えるのか、フェリオにはまだ未来図が見えずにいた。
「フェリオ君。少し疲れていますか?」
 ふいにジョアンが、やや不安げな表情で問いかけてきた。
「え? あ……そうでも、ないです」
「顔色がよくありません。確かに短い期間でいろいろ詰め込みすぎました。少し休んだ方がいいかもしれませんね」
 ジョアンは身の回りの世話をしてくれるメイドという役割だけでなく、講師であり、健康面を管理する衛生管理者でもあった。
「今日の午後からの勉強はお休みにしましょう。たまにはゆっくり休んでください。外へ出す訳にはまいりませんが、この隠れ家の中を軽く散歩するくらいは結構ですよ。ただし以前教えた、特定のお部屋へは入らないようにしてください」
「は、はい。分かりました。明日からまたがんばります」
 ふってわいたような休息に、フェリオは自然と笑みが零れた。そしてジョアンに頼み事をしてみようと思った。
「ジョアンさん」
「なんでしょう?」
「あの……マーシエさんとお話する事はできませんか? マーシエさん、別の仕事が忙しいですか?」
「マーシエ様ですか?」
 少し戸惑うように顎に指先を当てるジョアン。
「直接伺ってみませんと、私ではマーシエ様のご予定は分かり兼ねますね。後ほどお会いしたら伺ってみましょう」
「無理言ってすみません」
「いいえ。そうやって気軽に話しかけてくださると私も安心です。徐々にで結構ですので、心を開いてくださいね」
 ニコリと笑い、彼女はいつものようにテーブルの上の食器を片付けた。そして部屋を出て行った。


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