LOST PRINCE

「死を意識するなんて何度目だろう?」
スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。

豪胆な女性マーシエとの出会いが、
スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。




なろう版   カクヨム版


     2

 フェリオはゴロリとベッドの上に身を投げ出し、大きく伸びをした。
「柔らかいベッド。温かいご飯。勉強は厳しいけど、僕、こんな贅沢してていいのかな? ピオラがいればもっと楽しかったかもしれないのに」
 いまだに思い出すのは、可愛がっていた少女の姿。誰よりも自分に懐き、彼も彼女が大好きだった。
 スラムの墓守小屋で一緒に暮らしていた他の孤児たちの事も思い出し、フェリオの胸が少し痛んだ。彼らの分まで生きると決めたが、共に生きたかったという気持ちの方がまだ強い。
 柔らかな枕に顔を埋め、フェリオはマーシエが来るのを待った。
 しかしいつまで待ってもマーシエが訪ねてくる気配がない。ジョアンはマーシエを見つけ損なっているのだろうか? それともマーシエ自身が忙しいのだろうか?
「散歩はしていいって言ってたよね……」
 彼は時間を持て余し、先ほどジョアンに言われた事を思い出した。隠れ家内の軽い散歩なら良いと言っていたはずだ。
 ひょいと体を起こし、フェリオはシャツの襟のりボンタイを緩めた。そしてそっと部屋を出る。

 小さな窓と、等間隔に立てられた獣油ランプの明かり以外がない、薄暗い廊下には誰もいなかった。マーシエやジョアンがやってくる気配もない。
 意を決し、扉から外へと踏み出した。
 ここへ連れて来られて以来、一人で出歩いた事のない部屋の外。小さな探検に出掛けるかのように、妙に心がワクワクした。スラムでの暮らしで、感じる事のなかった高揚感。純粋に楽しいと思える心情。明日も安泰という、心にゆとりが生まれたからだろうか。
 アスレイやヘインといつも会う部屋とは違う方の通路へ、フェリオは歩き出した。

 大岩を繰り抜いた隠れ家だと聞いていたが、人が住めるほどの部屋がいくつもある大きな空間に驚く。岩と岩を繋ぎ合わせているのだと思われる箇所もあった。
 石の壁を片手でなぞりながら、まっすぐ奥を目指す。すると行き止まりに一つ、部屋を見つけた。彼の使っている部屋の扉と大差ないが、大きな錠前が付いている。しかし錠前は外されたままになっていた。
「この部屋はなんだろう?」
 通常ならジョアンに見せてもらえないのだが、今はフェリオ一人だ。こっそり覗くくらいなら大丈夫だろうと、フェリオは足音を発てないように気を付けながら、扉に近付いた。
 すると奥から声を潜めた会話が聞こえてくる。何を話しているかまでは分からないが、男女の声であるのは分別できた。
 フェリオはますます息を殺し、そっと扉を開いて室内を覗き見てみた。

 入ってすぐの場所に吊られたパーティションのためのカーテン。左右には見た事もない、不思議な瓶や道具。使い道はさっぱり分からないが、長い間使われていないのか、うっすら埃が積もっていた。
 カーテンのすぐ傍へ寄り、彼はなんとはなしに話し声に聞き耳を立てた。
「少し腐敗が進んでいるみたいだ。もう人前で手袋を外せないよ」
「俺の後ろにある溶液にしばらく浸してみればいい。もう少し腐敗が遅くなるはずだ」
「フン。そんなもの、とっくに干からびてるよ」
「そうか……俺はもう、一人で振り返る事すらできないからな」
 女性の声はマーシエだ。フェリオは少し嬉しくなる。しかし会話をしている相手の男の声に聞き覚えがなく、手足が少し強張ってしまった。
 マーシエと話はしたかったが、フェリオはおとなしくここは引き下がる事にした。
 パーティションカーテンからそっとすり足で後退する。と、その時。左右に積んである道具の一画をうっかり崩してしまった。
 派手な音を立てて崩れる道具類。「誰だ!」と、マーシエが鋭い叱責を飛ばす。
 自らが仕出かした事とはいえ、突然の出来事に、フェリオは動転して動けなくなってしまった。
「誰だい! ここはあたし以外、出入り禁止のはずだ!」
 マーシエはそう叫びながらパーティションカーテンを大きく引っ張った。そして慄くフェリオの姿を見つけ、息を飲む。
「あ……あの……ごめんなさい!」
 尻もちをつき、逃げ出そうとするが足が縺れて立ち上がれない。そしてフェリオはマーシエの背後で、とてつもなく恐ろしいものを見た。そして声にならない悲鳴をあげた。

 見知らぬ男がボリュームのあるクッションに顔を乗せている──『彼』とは『それだけ』だった。
「ひぁっ! あっ……」
 フェリオは恐怖で声が出なくなっていた。マーシエはフェリオに向かって吐息を漏らし、そして表の扉を閉めた。
「マーシエ、そのガキは?」
 異質な『彼』が問い掛ける。『彼』が声を発した事で、フェリオはますます恐慌状態に陥った。
 彼の、首から下は存在しなかったのだ。いや、あるにはある。臓器だけが、首からぶら下がっているのだ。手も足も体もない、頭部と臓器だけの存在がそこに『いた』。
 血の絡む臓器を大きなテーブルに投げ出し、クッションに頭部を載せられ、『彼』はそこにいた。
「こいつはフェリオ。オーベルの影を演るスラムの子供さ」
 マーシエは『彼』にフェリオを紹介した。彼はそれを聞き、ククッと笑う。
「なるほどな。スラムの孤児なら、何かあっても後腐れがない。考えたな、マーシエ」
「フェリオ。紹介するよ」
 彼女は長手袋をはめ直しながら、『彼』の隣に立った。
「彼はヴァクレイト王家の第二王位継承者、オーベル・パウル・ヴァクレイトだ」
「よろしく。『俺の』影の小僧」
 フェリオは自分に笑いかける異質なモノから逃げるように、蒼白になりながらジリジリと後退った。


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