LOST PRINCE 「死を意識するなんて何度目だろう?」 スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。 豪胆な女性マーシエとの出会いが、 スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。 |
マーシエの思い 1 約束通り、今日は一日、ジョアンの指導を休んでの外出日だった。いつもより少し地味な服装に着替え、フェリオはマーシエを待っていた。 ほどなくして、室内にマーシエがやってくる。ただ、いつもと同じ軽鎧に、長手袋と膝上まであるブーツ姿だ。 「あれ? マーシエさんはいつもの格好なんですか? おめかしとかするのかと思ってました」 何気なくフェリオが聞くと、彼女は苦笑しながら長手袋の上から腕を叩いた。 「悪いね。他にこの手袋が似合うような服を持ってないんだ」 「あっ……すみません……」 女性にとって、たとえどんな事情があっても〝におい〟は気になるものだ。それをすぐに気付けなかった彼は素直に反省して頭を下げる。 「気にしないでいいよ」 マーシエが朗らかに笑う。するとフェリオの心は、ほっと安堵で温かくなった。 「じゃあ行こうか」 「はい」 フェリオは笑顔になって、マーシエの隣に並んだ。 グルグルと回廊のように回る石造りの隠れ家を出ると、スラムの墓地の一つに出た。フェリオがねぐらにしていた墓守小屋がある墓地ではないが、すぐ近くにある別の墓地だ。 「こんな所に繋がってたんですね」 「出入口は他にもあるけど、ここが一番人目に付きにくいんだ。好き好んでスラムの墓地に来る奴はそうそう居ないからね」 マーシエはフェリオの背をポンと押した。 「まずはピオラちゃんの墓参りに行こうか」 「ありがとうございます。でもピオラの他に、ビリーとケイシィも眠ってるんです。マーシエさんと会った日に、兵士に追いかけられる怖さで訳が分からなくなってしまったみたいで、自分たちで命を投げ出したんです。動かなくなったビリーたちを見つけて、僕が一人で二人を埋めたから」 目を細め、マーシエはフェリオの横顔を見る。憂いを帯びてはいる。しかしその子らの死を理解し、納得して強くなった彼が見て取れた。 「そうか。じゃあ花でも買って行くかい?」 「花なんて高価だし買えないです。それにまた、追い返されちゃうだろうし」 「あんたの今の格好はスラムの孤児じゃないさ。それにあたしがいる。手向けの花くらい問題なく買えるさ」 「あっ……そう、ですか? 僕、スラムの孤児に見えないですか?」 「こんなに小奇麗で健康的なスラムの孤児がいるもんか」 標準よりまだ細身だが、それでもスラムの孤児のような痩せこけた体格ではなくなっている。フェリオは自分自身が成長、いや、変身したのだと、内心驚くばかりだった。 「あの……じゃあ……お花……」 「いいよ。買ってやるから安心しな」 マーシエはまだビクついている彼の前に立って歩き出した。 墓地を抜け、スラムを抜け、町に出る。そして屋台の花屋で三輪だけ花を買った。 「たくさん買っても盗まれるだけだし、これでいいかい?」 「はい。充分です」 フェリオは大事そうに花を抱え、マーシエと共に、ピオラたちの眠る墓地へと戻ってきた。 「ピオラは僕と会うまで、花を見た事がなかったんです。物心付いた時には、もう両親はいなかったらしくて。仲間と隠れて住んでた墓守小屋の傍で咲いた、白詰草にびっくりしてました。可愛い、きれいって」 「そうかい。じゃあいい土産になるね」 彼女はあえて、『供え物』という表現を避けた言葉を口にする。その小さな気遣いがフェリオには嬉しかった。 「はい」 フェリオはニコリと笑い、ピオラを埋まっている場所を探した。 ピオラ、そしてビリーとケイシィの墓参りを済ませ、フェリオはいつまでもぼんやりと山になった土を見つめている。その隣に、ピオラを埋葬した女騎士は柔らかい表情のまま、すっと立った。 「もう少しここにいるかい?」 フェリオは自らの恩人でもある彼女を見上げ、首を振った。 「もう、いいです。話したい事とか報告する事はいっぱいあるけど、全部言ってたら日が暮れちゃうから」 苦笑しながら告げると、マーシエは無言で頷き、フェリオを伴って墓地を出た。そのまま町中へと歩き出す。 フェリオがスラムで暮らしていた頃は、町に出る機会は主に、残飯を探して歩く時くらいだった。町のゴミ置き場を漁り、食べられそうな物をこっそり持って帰り、そして皆で分け合った。それが今では、三食きちんと栄養バランスの取れた食事が、黙っていても運ばれてくる。 今でもフェリオは、その食事をピオラたちに食べさせてやりたかったと、食事を口に入れる度に思うのだった。 「……」 フェリオは小さく唾を飲み込む。そしてマーシエの傍で躓いた。そのまま俯いて立ち止まってしまう。 「どうした?」 「……あの……町に行くの、怖い、です……大人はみんな怖くて、いつまた殴られるかと思うと……」 スラムの孤児は、町の大人たちにとって、体(てい)の良い憂さ晴らしの対象だった。商売で苛ついた時、ギャンブルで負けた時、町の大人たちはその憂さをスラムの孤児たちに当てつける事で発散していた。 腕力でも知能でも仕返しができないスラムの孤児たちは、ただひたすらに逃げてねぐらで泣くしかなかったのだ。 フェリオにもその感覚が染み付いており、生活の保証がある今となっても、それが体の芯から抜け切れていない。 だから萎縮してしまい、躓いたり俯いたりするのだった。 マーシエは彼の真正面に立ち、両肩に手を乗せた。 「もう怯える必要はない。あたしが傍にいるんだ。何か仕出かそうなんて奴がいたら、逆に叩きのめしてやるよ。第一、今のフェリオは町の子供に見える。大丈夫。心配ないよ」 安心させるような声音でマーシエに説かれ、フェリオはほんの少しだけ緊張がほぐれた。 そして肩にあるマーシエの手に触れる。その行動に、マーシエの方が驚いた。 「あたしの手に触るなんて、嫌じゃないのかい? 大人も子供も何十人も斬り殺してきたし、それに例の秘密もあるんだ。気味悪くないかい?」 「マーシエさんの手は優しい手です。僕、本当にマーシエさんに出会えて良かったです」 フェリオは本心を語った。 彼女がいなければ、ここにフェリオはいなかった。そしてピオラや他のスラムの孤児たちのために仕事をしようなどと思わなかった。 確かに腐敗した腕を持つマーシエに全く恐怖や嫌悪を抱かないとは言い切れないが、それでも、この手に救われたのは事実だ。あの時の水と干し肉の味は、今でもはっきりと舌先に残っている。 フェリオは心から、マーシエに礼を述べた。 「そういってもらえるのは嬉しいけど、なんかむず痒いね」 少し照れたように彼女は笑う。その笑顔は優しい眩しい笑顔だった。 |
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