LOST PRINCE 「死を意識するなんて何度目だろう?」 スラムで育った少年フェリオは、腕の中で冷たくなってゆく少女を抱きしめながら、そう思う。 豪胆な女性マーシエとの出会いが、 スラムの孤児であったフェリオの運命を大きく変える。 |
4 隠れ家へ戻ってきて、最初に出会ったのはアスレイだった。 「アスレイ師、どうしました?」 「いや、たまにはわしも殿下に会っておかねばならんと足を運んだのじゃが、ジョアンに今日は休みで、マーシエに連れられてどこかへ行ったと言われてな。暇を持て余しておった」 「あ……すみません」 「いい気分転換になったかの?」 「はい。すごく」 満ち足りた笑顔で、アスレイに向かってペコリと頭を下げる。 「では今からわしに少々時間をいただけるかな?」 「アスレイ師。たった今、帰ってきたばかりなんだ。勉強なら少し休ませてからにしてやりなよ」 「マーシエさん。僕、大丈夫です。アスレイさん、よろしくお願いします」 「そうかい?」 彼からも何かアドバイスが聞けるのかと思い、フェリオはアスレイの面会を受ける。一瞬戸惑ったのち、マーシエはアスレイの方へフェリオの背を押して、小さく手を振った。 「さて、どこか空いた部屋へ行こうかの」 コツコツと小気味良い杖の音を響かせ、アスレイはフェリオを先導する。フェリオは意識的にゆっくりと歩く。室外へ出ている間は、王子に成り代わる練習をせねばならないと、以前ジョアンに言われていたからだ。 「ほうほう。随分練習熱心じゃの」 「はい。少しでも王子に近付かないといけないと思って」 褒められたと思い、フェリオは僅かに頬を緩めて答える。アスレイは皺だらけの顔を歪ませ、チラリとフェリオに一瞥くれた。 「しかしまるで似とらんよ」 「え?」 「よし、この部屋が空いとるようじゃの」 アスレイは何事もなかったかのように、一つの部屋の扉を開けた。 『今、僕なにか失礼な事を言ったのかな? アスレイさん、怒ってたよね?』 フェリオは少々不安になりながらも、アスレイに続いて部屋に入る。するとアスレイはさっさと自分だけ椅子に腰を下ろし、待っていましたとばかりに口を開いた。 「先日の決起会の事じゃが」 椅子に座るなり、アスレイが話し始める。フェリオは姿勢を正して彼の言葉を聞いた。自分が座るための、向かいや隣の椅子を探している暇もなかった。 「まったく成っとらん。隣にいて冷や汗ものじゃったわ」 「……っ! す、すみません……」 突然叱責され、フェリオは俯いて唇を噛む。 「少々叩かれた程度でそうやって俯いて逃げる。殿下はそのような意気地なしではない。全く何から何まで成っておらん」 「す、すみません!」 必死に顔を上げ、フェリオはアスレイを見る。皺の深いアスレイの表情は読み取りにくく、しかし態度が、雰囲気が好々爺のそれではないとはっきり分かった。 スラムの孤児時代に、町の大人から発せられた嫌悪や苛立ちと似た気配に、フェリオは萎縮して全身が小刻みに震え出す。 「何を震えておる? わしは事実を語ったまでじゃよ」 何も言い返せず、フェリオは必死に目の前の老人を見つめる。しかし首は鉛を下げているように、徐々に俯いていった。 「これじゃから、スラムの孤児に陛下の影をさせるなど反対じゃったんじゃ。いくら叩き上げようと、卑屈で卑小な態度が染み付いて、全く成っておらん」 アスレイは自分を毛嫌いしているのだと察し、フェリオは何も言えなくなっていた。ただ周囲が自分を王子の影として扱っているから、他人のいる場所では協力的な偽りの態度で接しているのだと、この時はっきり分かった。 ──怖い。 スラムの孤児時代、町の大人に追い回された時の事を思い出す。その思考に全身が支配され、フェリオは無意識に逃げ出そうと背後へ足を引きずる。 「今からでも遅くはない。殿下のフリなどできんとマーシエに泣き付け。貴様などに与える飯も教養も、スラムの孤児にはもったいないわ」 「ご、ごめんな……さい……!」 フェリオは我慢ならず、部屋から逃げようとした。だが一瞬早く扉が開く。そこにはマーシエが仁王立ちになっていた。 アスレイを睨み付け、マーシエは口を尖らせている。 「話、いいですか? アスレイ師」 「聞いておったか。油断ならん女じゃの」 マーシエはフェリオの肩を抱きつつ、アスレイの傍に歩み寄った。 「アスレイ師。あなたは自分から動かず、何も指示せず結果のみを求める。あなたが一度として、フェリオを指導する立場に立った事がありましたか? オーベルの教育係をしていたのなら、ジョアンではなくあなたこそ、フェリオの教育係にふさわしいものを、あなたは自分のより好みだけで拒否した。オーベルもジョアンも、あなたの偏った物事の見方に気付いています。フェリオをこき下ろして馬鹿にするなら、何も協力しないあなたに対しても態度を疎かにしていいと解釈しますが、よろしいですか?」 「フン。妾腹の娘がよく言うわ」 「生まれがどうであろうと、オーベルはあたしを信頼しています。ジョアンやヘイン騎士長も、オーベルは認めています。あなただけが、オーベルに見向きもされていない。だからフェリオをなじって憂さ晴らししているのですね?」 彼女の口舌を聞いて、フェリオは驚いたようにマーシエを見上げた。マーシエは今にも叫びだしそうなほど、顔を真っ赤にして怒り狂っている。こんな静かな怒りの言葉は、彼女は本来口にしない。彼女は直情的だから。それでもアスレイはオーベルの教育係であったからと、自身の感情を抑えて語っている。 「嫌な女じゃの、マーシエ」 「その言葉、そっくりそのままお返しします。嫌な老人ですね」 マーシエはフェリオの肩に回した手に、ぐっと力を込めた。 「もう金輪際、あなたとフェリオを二人にはしません。何か話がある時は、あたしを仲介してください。皆にも言っておきます。では失礼します。ああ、そうそう。次の決起会でも上手い長老のフリをよろしくお願いしますね、アスレイ師」 フェリオを促して、マーシエが部屋を出て行く。そしてフェリオの部屋の前まで彼女は送ってくれた。 「フェリオ。嫌な思いをさせちまったね。ごめんよ」 「……スラムにいた頃の……町の大人に追い掛け回された時の事を思い出しました」 彼女はゆっくりと意気消沈した少年の頭を撫でる。 「辛かったね。あたしも油断していた。てっきりアスレイ師は改心したと思ってたんだけど、そう簡単に気構えが変わるような人じゃなかった」 俯き黙り込んだまま、フェリオは口を噤んでいる。 「……もうオーベルの真似事、嫌になっちゃったかい? もし、もうアスレイ師と顔を会わせたくないっていうなら、やめてもらって構わないよ。万が一の事があるから、この町には残れないけど、どこか別の遠い町まで送って行く。影の事は誰にも言わないでもらって、そこで一人で暮らしな」 自分は用なしなのか? フェリオは慌ててマーシエを見上げる。そして首を振った。 「見捨てないでください……お願い、します……」 「あたしからあんたを見捨てるような事はしないよ」 フェリオは両手を胸の前で合わせ、縋るようにマーシエを見つめる。 「アスレイさんは正直、怖いです。謁見の時の兵士も怖い。怖い事ばっかり。だけどマーシエさんに恩は返したいっていう気持ち、怖いより強いんです。だから僕をどうかここに置いてください」 「充分目を光らせてはおくけど、また隙を衝いてアスレイ師に厭味を言われるかもしれないよ?」 「イ、イヤミくらいなら我慢します。叩かれたり蹴られたりしないなら、嫌われるくらい、僕は我慢できます」 直情的な女騎士は目を潤ませ、ぐっと彼を抱き締めた。 「あんたはやっぱりあたしが見込んだだけはある。偉いね。あんたはもう弱虫じゃない。強いんだよ。これからもよろしく頼むよ、フェリオ」 「はい。一生懸命がんばります。マーシエさんの思いに応えたいから」 フェリオは心の中の戸惑いを隠し、強く思う本心を打ち明けていた。 |
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