砂の棺

白い砂と高い岩山に囲まれた国ウラウロー。
傭兵を生業とする青年カルザスは、ある日、謎めいた美麗な詩人シーアと出会う。
この出会いをきっかけに、ウラウロー全土を巻き込んだ過去から連なる歴史と謎が紐解かれ、
彼らは運命に翻弄されゆく。


     2

 僅かな気配を探って屋敷の奥へと進む。蝶番から破損し、倒れている扉を越えて中へ進むと、そこは当時、マリスタたちがくつろいでいたリビングに当たる部屋だった。
 腐り落ちた額縁は微かな色を残しているが、何が描かれていたかはもはや判別できない。片膝をつき、それを拾い上げようとした俺の背に、強い衝撃が走った。懇親の力で拳を叩き込まれたらしい。
 強固な竜の鱗が守ってくれたのか、衝撃はあるものの痛みは感じない。だが腰に下げた剣が、鞘から抜き取られたのだ。
「レニー」
 目の高さで剣を真横に構えたレニーが、じっと俺を見据えている。独特の構えは、ウラウローや大陸全土で広く扱われている流儀とは明らかに違う。レニーがまだ暗殺術を習い始めたばかりの頃に、俺が……教えたものだ。
「カルザスさんに戻れ。そしてあんたは二度と、おれやカルザスさんの前に現れるな」
 その目には殺意のようなものがあった。暗殺者としてのそれではない。だがその寸前のものかもしれぬ。明確な敵意。
「俺を殺そうというのか、暗殺者?」
「おれはもう暗殺者じゃない。カルザスさんとの約束だから、あんたを殺したくはない。でもカルザスさんに戻らないというなら……殺すしかないだろうな」
 俺は小さく笑った。
「……ほう? カルザスのためならば、自らの手をまた汚してもよいと? お前はいとも容易く“約束”を違えるのだな」
「うるさい。黙れ」
 酷く冷静な声音で奴は言った。
 神経を研ぎ澄まし、純粋な殺意という意思を自ら引き出す事により、奴は殺戮を好む狂人となる。アーネスに対抗し得るために育て上げた、俺の“作品”たる残虐なる者。それがレニーだ。
 片手を差し出し、挑発してやると、レニーは目をすうっと細める。無意識にだろう。口元には笑みが浮かんだ。
 こやつをどう煽れば暗殺者に戻せるか。それは熟知している。本人が幾ら拒絶しようと、俺が暗殺者である本性を引き出してやれば、“シーア”という詩人は簡単に壊せる。暗殺者の“レニー”に戻せる。
 もしくはアイセルの生まれ変わりであるレニーに、カルザスとアーネスを殺させれば、二人の精神を壊せる。“器”は壊れるが、俺は始祖の力を使い、転生すればいいだけだ。

 ──ヤドリ主ハ、目ノ前ニイル──。

 誰が誰を殺そうと、結果がどう転がろうと、俺の勝機はもはや確定事項なのだ。
 俺の頭の中で、アーネスが何か叫んでいる。だがそんな戯言をいちいち聞いてやる義理などない。力無き己を恨めばいい!
「俺を斬ればアーネスをも斬る事になるぞ」
「……それが……どうした?」
「血が見たいか?」
「……ああ、見たいね。あんたを殺せば……血、は……いくらでも見られる。ククッ……アハハッ!」
 奴は完全に狂気に支配された。
 レニーは気付いておらんようだが、冷静な判断力を欠き、狂気に彩られた奴に勝ち目はない。なぜならば腕力の無いレニーが長剣など構えたところで、命中精度は格段に落ちるのだ。接近戦に持ち込み、体術や短剣を扱ってこそ、奴は無敗の殺戮者となる。狂気で正常な判断力を見失った奴に、勝機はない。
「……ふっ……アーネス。貴様のその手をアイセルの血で染めてやるよ」
 俺は俺の中で悲鳴をあげておるであろうアーネスに、嘲笑を浴びせてやった。
 風を切る音がして、俺は僅かに身を引いた。横一閃したレニーの剣の切っ先が、俺の前髪を凪ぐ。
「レニー、随分遅いぞ」
 にっと唇の端を吊り上げ、奴は再び剣を高い位置で構える。
「邪魔をするなよ、アーネス!」
 岩の礫を放って牽制したが、レニーは軽やかにそれをかわす。かわされる事を見越しての牽制だ。煽れば煽ってやるだけ、短気な奴は意地になる。
 剣先を素早い動きで突き入れながら、俺への接近を試みてくるレニー。だがそう易々と奴の間合いにしてたまるか。
「あははっ……逃げるなよ、せっかくこっちから近付いてやってるのにさぁっ!」
 強く地を蹴り、レニーが捨て身で俺に突進してきた。
 予想外の奴の行動に、俺たちはもんどり打って窓を突き破る。そのまま傾斜のあるバルコニーへと転がり出た。
「貴様っ!」
「ククッ……弱ぇの……つまらねぇ」
 焦点を定められぬ距離に、白く細いものが映る。それが奴の指だと気付いた時には、俺の左目はレニーに抉られていた。いや、まだ抉り取られてはおらん。だが瞼に指先が押し付けられ、今にもそれを突き破ろうとしているのは事実だ。
「ふざけるな!」
 俺はその手を振り払い、レニーの長い銀髪を掴んで引きずり倒す。
「俺が弱いだと? 始祖たるマリスタの魔力を持つこの俺を愚弄する気か!」
 バルコニーの床へとレニーを押し付けたまま、俺は牙を剥いていた。
「ククク……そうでなくちゃ、楽しくない」
 紫色の瞳が、銀糸の奥からこちらを睨む。冷徹で凶悪なものを秘めた目。
 カルザスが無くしてやろうと尽力していたもう一つの人格。俺がアーネスを抹殺するために育て上げた人格。それが俺に刃向かってきておる。俺の計画に狂いはない。アーネスはここにいるのだから。だが俺もここにいるのだ。アーネスと共に、ここに確かに存在する。
「死んでしまえ……っ!」
 レニーを押さえつける俺の力が緩んでいたのだろう。レニーは俺を撥ね退けて、素早く落ちていた剣を拾い上げた。

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