翼が見た灯り

ちっちゃな天使とちっちゃな男の子とのちっちゃな冒険。
彼女の想いは伝わるの?
彼の想いはどこにあるの?


なろう版


     3

 太陽が町と空の境界をあかね色に染めながら西の空に沈みかける頃、教会かどこかから打ち鳴らされる日暮れを告げる鐘の音が優しく町を包み込む。
「どうして逃げちゃったりしたの?」
「はい?」
 市場を出て住宅地を二人で歩きながら、あたしは何気なく昼間の事をコートニスに聞いてみた。コートニスは恥ずかしがって、ずっと話を避けてたのよね。
「大人が数人がかりでもどうにもできなかったのに、コートニスはあり合わせの道具一つで下敷きになってた馬を助けちゃったじゃない? みんなに感心されてたのに、もうちょっと自慢しても良かったんじゃないの?」
「えっ、と……褒められるのは、ちょっと苦手で……恥ずかしいですし」
 コートニスは両手の指を絡めながら、照れた様子で頬を紅潮させている。
「変なところで謙虚なのね。もっと自分に自信持ってもいいんじゃない? だってコートニスはいろんな事知ってるし、昼間みたいな器用な事もできるし」
「僕……今のままでいいです。ほんのちょっとだけ、姉様やみなさんのお手伝いができればそれで……充分ですから」
 呆れるほど欲のない子。
 何事も控えめな彼らしい謙虚過ぎる謙虚さに、あたしは苦笑するしかなかった。でもそういうの、嫌いじゃないわよ。
 今日一日あたしはコートニスに案内されて、いろんな所を見て周った。いっぱいお喋りした。いっぱい笑って、いっぱい驚いて、ちょっと怒るフリしてからかうつもりでコートニスを慌てさせたりした。

 今まで人間の世界は天界からただ見るだけだったけれど……こうして直に触れ合ってみると、人間の世界はすごく刺激的で、面白い事がたくさんあって、でもちょっぴり危ない事もあって、だけどそれすらもあたしには物珍しくて、時間を忘れて楽しんだ。
 本当に何もかもが新鮮で、驚きの連続で、すっごく面白くて、楽しくて、あたしは人間の世界が大好きになった。
 一人だったらきっとこんなに楽しくなかったんだろうな。
 口下手だけど、引っ込み思案だけど、それでも一生懸命あたしを楽しませようとしてくれたコートニスが一緒にいたから楽しかったんだと思う。
 何かあったら簡単にすぐ謝っちゃうし、気は弱いし、自己主張は下手だし、ちょっと面倒臭い子だなって思ったのは事実。だけどあたし……彼を人間として、あたしとは違う世界に生きる初めての友達≠ニして、彼の事がすごく気に入ったみたい。

 夕日の色がコートニスの蜂蜜色の髪の色と混ざって、不思議な風合いの色味になっている。人とは違う、天使とも違う、そんな別のモノのようにも見える。
 コートニスはチラチラとこっちを伺いながら、両手を体の前で合わせてぎゅっと握り締める。そして意を決したように口を開いた。
「あの、僕……もうそろそろ帰らないと……姉様たちが心配なさいますので……」
 コートニスが町の高台にある大きな建物を見上げて、ぽつりと呟いた。そっか、もうそんな時間なんだ。
「もう帰るの? じゃあ明日もあっちこっち連れてってよ」
 天界と下界の時間の流れ方は違うから、あたしも一度天界に帰ってまた明日下界に降りてきて、という事はできない。もし帰っちゃったら次に下界に降りてきた時、人間の時間は何年も何十年も経っているはずだから。
 だからあたしは人間の時間でいう今夜一晩、どこかにこっそり隠れて、明日までコートニスを待っていよう。そして明日も、彼とたくさんいろんな所を見て周まわるの!
 あたしの提案に、彼は口籠って申し訳なさそうな顔になる。
「……明日は都合悪いの? それとも今日、あたしが強引に誘った事、迷惑だった?」
「そ、そんなことないです! エイミィさんとお話しするの、す、すごく楽しかったです! でも……えと……僕、明日からお仕事でしばらくこの町を留守にするんです」
「仕事? あなたみたいな子供が?」
 コートニスはこくりと頷き、高台にあるさっきの大きな建物を指差す。あたしが目をそちらへ向けると、コートニスが言葉を続けた。
「僕まだ子供ですけど……特別な条件付きであちらの冒険者組合にお世話になっているんです。僕はちょっとだけ人より物知りで、調べ物とか、謎解きとか、からくりとか作るのが得意で、姉様と一緒に冒険者組合のお仕事をしているんです。それで明日から組合のお仕事で、しばらく南方へ行くことになっていて……」
 驚いた。コートニスってすごく小さくて弱そうで、それなのに冒険者みたいな過酷なお仕事が務まるの?
 でもコートニスが物知りなのは事実。だって何を聞いても、すぐに分かりやすく答えてくれるの。ちょっと意地悪な質問しても、真面目に真顔で答えるのよ。分からなかったら、わざわざ調べたり人に聞いたりしてくれて。手先が器用なのは昼間の騒動で実証済み。
 そんな彼なら、冒険者の手伝いみたいな仕事だって可能かもしれないわ。
 だけどそんなのどうだっていい。あたしはもっと人間たちの世界の面白い事を、見たり経験したりしたいの。
 明日会えないとなると、もうしばらく下界に留まる事になるけど……どうせ怒られちゃうなら目一杯楽しんでから帰っても同じ事よね? 大天使様にはいっぱい怒られちゃうだろうけど、でもこんな楽しい事をやめてすぐ帰るなんてもったいないわ!
「いいわ。帰ってくるまで待っててあげる。それでいつ帰ってくるの?」
 下界で二、三日過ごしたとしても、天界で過ぎる時間はほんの一瞬だもの。待ってる時間は退屈だけど、でもまたコートニスに案内してもらいながら、あちこち行ってお喋りできるなら少しくらいへっちゃらよ。
 だけどコートニスは両手を胸の前でぎゅっと握り、ますます申し訳なさそうに項垂れて、前髪の隙間からあたしのご機嫌を損なわないか、不安そうに怯えた眼差しを向けてくる。
「……あ、の……ごめんなさい。帰ってくるのがいつになるか、分からないんです。だからちゃんとした約束ができなくて」

 すぐには会えない、約束もできないのだと告げられ、あたしの心の中がゾワゾワしてきた。
 焦燥感、落胆、怒り。
 コートニスのせいじゃないのに、彼には彼の事情もあるのに、分かってるはずなのに、あたしはすごく身勝手に……自分の思い通りにならなかった事に苛立って眉尻をつり上げた。

「なによそれ! 言い訳のつもり? あたしに振り回されたのがそんなに嫌だったのなら、もっと早くに断ってくれればよかったでしょ! 楽しかっただなんて、調子のいい嘘だったんでしょ!」
「ち、違います! 僕、本当にエイミィさんと一緒にいるのが楽しくて。でも……」
 彼は空色の大きな目を涙で潤ませる。男のくせにあっさり泣くなんて、情けない!
「あ、の……あの! 帰ってきたらすぐご連絡します。僕は、その……ええと……エイミィさんの事、すごく素敵なお友達になれたと思ってます。だ、だから帰ってきたら必ずまたオウカの町をご案内します。ですからご迷惑でなければ、エイミィさんのお家を教え、て……? あ、れ……ご案内……案内……?」
 コートニスはようやく気付いたらしい。あたしに案内≠ェ必要だって意味に。
「エイミィさんは……この町の……かたじゃない、んですか?」
 あたしは仏頂面のまま、一度だけ頷いた。
 いつ帰ってくるかも分からない彼を、ずっと待ち続けるなんてできない。あたしには一人前の天使になるためのお勉強があって、天界に帰らないといけないから。突然下界に落っこちちゃったあたしを、大天使様は心配してくださっているかもしれない。
「……いつまで……この町にいらっしゃるんですか?」
 あたしがはぐれ者の天使で、天界へ帰る必要がなければいつまででも彼を待っててあげられる。だけど……それは無理。
「……明日。あたしも帰らなくちゃ……いけないから……」
 あえて期限を設けるとすれば、明日。さっきはコートニスが戻ってくるまで待ってられるって思ったけど、でもいつ彼が帰るのか分からないまま、無駄に外界で時間を過ごす事はできないもの。大天使様にも、仲間のみんなにも迷惑掛けちゃう……。
 コートニスが俯いて黙り込む。あたしも何も言えなかった。
 一度天界に戻って、また別の機会に下界へこっそり降りてきたとしても、きっともうコートニスには会えない。外界の時間はたくさん流れていて、あたしの姿はこのままだけど、コートニスはずっとずっと大人になってる。もしかしたらおじいちゃんになって、あたしの事なんて忘れちゃってるかもしれない。

 ──コートニスが一緒じゃなきゃ……全然楽しくないよ……。

 ……あ、あれ? あたしは今日、コートニスと一緒に遊んで、それからコートニスの記憶を消して天界へ帰るつもりだったのに、なんでコートニスに忘れられるかもって事がこんなに辛いの? 記憶を消すんだから、何もかも忘れるのは当然じゃない。
 今日、偶然会っただけの人間。今日しか一緒にいられないあたしの事情。天界でない、違う世界で出会って仲良くなった、仲間以外の初めての……友達>氛气Rートニス。忘れたくない、忘れられたくない、あたしの大切な……友達。

 一所懸命考えた。いっぱいいろんな事を考えた。そして、あたしは一つの結論≠導き出した。
行こう……決心が揺らがない内に……!

「コートニス。お別れする前に、あとちょっとだけ、いい?」
「え、はい? 少しくらいなら……」
「じゃあ町外れまで来て!」
 あたしはうろたえるコートニスの手を掴んで、町はずれの草原まで走った。
 お願いよ、太陽さん。お願いします、大天使様。もうちょっとだけ……あたしに時間をちょうだい。

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