砂の棺 上

   銀の天使

     1

 澄んだハープの音色と、それに合わせて歌う透き通った歌声。
 それらは生き物を拒絶する砂漠、それも町の影すら見えぬ砂漠の真ん中では、普通なら到底聞こえようはずもない異質な音だ。耳障りではないが、あまりにも美しい旋律は、返って警戒心を煽ってくる。
 ウラウローは黒色の大岩が多い砂漠だ。その岩が作り出す日陰で休憩を取る旅人や商隊も少なくはない。だが盗賊や砂漠の獣に気付かれるような音を発てて休むなど、常識では考えられぬ事なのだ。
 警戒心を煽られはしたものの、俺はハープの音色の源に興味を抱く。だがカルザスも同じく好奇心を刺激されたらしい。
 念の為にと、マントの下で剣の柄に手を掛けたまま、音の源を辿った。
「……うっ」
 岩陰の様子が見える位置までやってきて、カルザスはうめき声を発し、思わず片手で鼻と口とを覆った。

 死屍累々と、辺り一面に散乱した人間だった“もの”が転がる惨劇の爪痕。
強い日差しに肉は腐り、血で染められた白い砂は茶色く変色し、その一角だけがまるで地獄絵図のようだった。唯一の幸いは、砂をも舞い上げる強い風で、腐臭が拡散されている事くらいか。
 残忍な盗賊の仕業なのか、めぼしい品物は見当たらない。奪い盗られたのだろう。そして男は抵抗する間もなく惨殺され、女はおそらく陵辱されたのちに殺されたと推測される。大人も子供も関係なく、圧倒的な力によって、その命を奪われていた。ざっと数えて十二人。商隊と、同行していた彼らの家族に傭兵、といったところか。
 その惨劇の場で動く“もの”は、ただ一つを除いて存在しない。ただ唯一、生のあるもの。それは銀色の翼を持つ天使だった。
 いや、天使ではなく人間だ。
 ゆったりしたドレープのある裾の長い純白のローブを纏い、ウラウローでは珍しい白い肌と腰まである長い銀髪。それが風に舞い、翼のようだと錯覚してしまったのだ。
 その者が惨劇の場に跪いて、ハープを奏でていたのだ。

 髪を砂の混じる風になびかせ、紫色の瞳は悲しみに沈んでいる。女にしてはかなりの長身だが、細くしなやかな体付きは身軽な猫を連想させた。
 女はカルザスに気付いたのか、ハープの弦を爪弾く手を止め、顔を上げた。
 中性的な印象の、眉目秀麗な女だった。
「……あなた、誰?」
 ハスキーな甘い声で問い掛けてくる女。男に媚びているといった訳ではないのだろうが、妙に胸がざわつくような声音だ。心の奥底にある何かに触れてくるというか。
 この容姿。明らかにウラウローの民ではない。
 他国からウラウローにやってくる者は、そう珍しいという訳でもないが、女が一人というのは珍しい。なぜなら、ウラウローにやってくる他国の者といえば、大抵男の商人だからだ。女の体力で、ウラウローを囲む岩山を越えて来られる者など、そう多くはあるまい。
「あ、えっと……僕はただの傭兵です。ハープの音が聞こえたので、ちょっと気になって……そうしたら、あなたがいらっしゃったので」
 女の存在に気を取られているせいか、腐乱した死体の事を一瞬忘れてしまう。場所が場所でなければ、下手なナンパのようだな。
「あの……あなたはこの方々のお知り合いですか?」
「いいえ」
 短く答え、立ち上がって膝の砂を払う女。
「私も通りすがりの者よ。何もできないけど、弔いの歌くらいは歌ってあげられるから」
 ハープと歌というキーワードから察するに、この女は詩人なのだろう。異国の詩人の女が一人でウラウローにいるとは、なお妙な事この上ない。
「ただ砂漠を渡っていただけなのにね。何の罪もないのに、こんな場所で殺されて……とても可哀想な人たちだと思ったから」
 長い睫毛を伏せ、女はハープを荷物の中へと収める。
 夢うつつを見せられているかのような、どこか憂いのある雰囲気の女だが、俺はこういった艶っぽさを醸す女があまり好きではない。そもそも俺は女という生き物とは相性が悪いのだと思う。記憶がないので、強く言い切る事はできんが。
「……さよなら、傭兵さん。私、もう行きますね」
「あ、待ってください」
 カルザスが女を引き止める。
「盗賊の徘徊するような場所を、女性一人では危険でしょう? ベイに向かうなら、ご一緒にいがかですか?」
 物好きだな、この男は。
 金にならん護衛など、どうしてそう易々と引き受けようとするのだ。一人で砂漠をうろつくような危機感のない女など、放っておればよいというのに。
 女はさして驚くでもなく、僅かに口元に笑みを浮かべて首を振る。
「ご親切にありがとうございます。でも私、傭兵さんにお支払いできるようなお金は持っていません。どうぞお気になさらずに」
 慣れた口調でカルザスの誘いを断り、女は小さく頭を下げる。

 初対面の人間に、それも男に一緒に行こうなどと誘われて、素直について来る女などそうはおらん。容姿の整ったこの女に、下心を抱いて声を掛ける愚かな輩は多いのだろう。すらすらと口から出てくる慣れた断り文句や、憂いを醸しつつも凛とした態度から、それは容易に伺える。
「お金なんていりませんよ。僕と目的地は同じようですし、言葉は悪いですけど、ついでですから」
 初めて、困惑したような表情を見せる女。おそらくカルザスを値踏みしているのだろう。
 カルザスの場合、自ら傭兵だと宣言しても、田舎の純朴な男そのものといった初々しさが残っているというか、いかにも百戦錬磨の傭兵だという貫禄が見られない。だがそれは持って生まれた雰囲気がそう見せるだけ。実家を飛び出して数年、傭兵として過ごしてきており、ベテランとまでは言わんがそれなりに経験を積んでいるのだ。温厚そうで気合の足りない顔付きは、なぜか初対面の人間を安心させるらしい。世間一般の傭兵らしい刺々しさや荒々しさが無いというのも、ある種カルザスの長所なのだろう。
 しかもこやつはいい歳をぶら下げてはいるものの、女にはさして興味がないというお子様だ。同年代の傭兵仲間たちと戯れておる方が楽しいなどと口にした事がある。体を共有し、常に共にあるという俺の存在も、カルザスの恋愛観に水を差しているのだろうがな。

「……いいの? お金、払わなくて護衛していただいて」
 考えた末の結論なのだろう。女が確認するようにカルザスに問い掛けてくる。
「断っていただいても、どうせ同じルートを歩く事になりますし。後からついて行っちゃう事になります」
 カルザスが肩を竦めておどけるように言うと、女もふっと口元を緩ませた。
女は目を細め、風に舞う髪を押さえる。
「ふふっ。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらいますね」
 とりあえずは安全な男だと認識したのだろう。
「では行きましょうか。この方たちには悪いですけど、あまり長居したい場所じゃないですしね。あ、僕はカルザスです。カルザス・トーレム」
 惨劇の場を離れながら、カルザスは名乗る。
「……私はシーア。見てのとおり詩人よ」
 灼熱の砂漠にはそぐわぬ、涼しげな表情で、詩人の女、シーアは自分の名を口にした。