Light Fantasia

オウカという国には各国から腕自慢が揃う冒険者組合がある。
名(迷)物補佐官でありながら冒険者でもあるファニィ、美貌の怪力美女ジュラフィス、
健気で超天才児のコートニス、生真面目で世話やき基質のタスク。
凸凹四人組が織りなすハチャメチャファンタジー!


       6

 姉貴の言葉は、俺にはすぐには理解できなかった。
 いや、個々の単語の意味は分かるんだ。魔法学をやってる人間なら、基本事項から発展応用の知識として学ぶ内容だから。
 だがそれらが繋がった時、姉貴の言葉は俺の理解の範疇を超えていた。
「炎の……魔神? 憑依って……俺が、か?」
「タスクには……ずっと隠しとった。ウチもおとんもおかんも……みんな、あんたを追い詰めんようにってな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺、意味……分かんねぇ……」
 今まで見た事もないような神妙な面持ちで、姉貴は憂いを含んだ視線を俺に投げかけてくる。
「タスク。あんたは気ィ付いてへんはずや。あんたの中には炎の魔神がいてて、そいつはあんたの精神食い破って表に出てこよと、何べんも行動起こしかけとんのや。だからウチらはあんたに封印をかけた。そうせな、あんたの自我が失われる危険性があったからや」
「そんなの……俺、聞いた事、ないぜ」
「覚えてへんか? 小さい頃、あんたの周りで小火(ぼや)騒ぎ多かったやん? あれは全部炎の魔神の呪いや」
 俺は絶句して、口元をぐっと片手で抑えた。
「あんたの右頬の炎の刺青な、それ刺青ちゃうねん。炎の魔神が取り憑いとる証拠の痣なんや。あんたはこの世に生まれた時からその炎の痣持っとった。そして暗黒魔術の痣もな。あんたが炎以外の魔法が使えんで、暗黒魔術師であるのは、炎の魔神の呪いがあるからやねん。その呪いはごっつう強力で、あんたがあんたでおるために、魔神の呪いやら魔術の力やらを封じようとしたら、弊害で炎以外の魔法の力も封じられてしまう事、おとんが調べて分かったんや」
「じ、じゃあ……タスクさんが炎の魔法しか使えないと仰っていたのは……魔力の大部分を封じてしまっているから、ということですか?」
「そうや」
 姉貴はコートの頭を撫でる。そしてコートの体を背中から抱き締めた。
「炎の魔神の呪いは日に日に強うなってる。封印を更に強力な多重封印にしてしまおか、そうしたらタスクは完全に魔法使いとして生きていかれへんようになる。そんな事をおとんらと話し合ってる内に、あんたは家を黙って出て行った。魔神の呪いなんて一切知らんねんもん。魔法の修行して、一人前になるなんて言うて。ウチら必死にあんた探してんで。けど魔神があんたの中で小細工しとんのか、ウチの水鏡の占術にも引っかからんかった。それから……もう五年経った」
 ありえねぇ……そんなのねぇよ。
 俺は魔術師で、ただそれだけでジーンの民から色眼鏡で見られてて……だけどあのカキネ家の長男だからと必死に勉強して、立派な魔法使いになろうと他人の何倍も勉強してきたのに……俺の中で魔神の呪いがくすぶっていて、俺という存在は俺が自我を失うまでのヤドリ木にしかならないなんて。俺が今までやってきた事はなんだったんだよ!

 声を出す事ができなかった。ただ目の前にぶら下がった絶望が、鎌首をもたげて俺を睨んでいる。俺は俺の全てを否定されたようなショックを受けていた。
「……タスク。悪い事は言わん。ジーンに戻って、おとんとおかんから多重封印を受けて、魔力を全て封じてしまい。そうすればあんたは自我を失わんと生きていく事ができる。魔法使いは……諦め。ウチらはあんたさえおればええねん」
 俺が唇を噛み締めると、口の中に血の味が広がった。どうやら唇を噛み切ってしまったらしい。
「炎の魔法、最近威力強うなってへんか? 暗黒魔術を使こた後の疲労、軽くなってへんか? それはあんたの修行の成果やのうて、炎の魔神の能力が大きゅうなってるって意味やねんで。そんな状態で魔法やら魔術やらの外部からの刺激、受けてみ。魔神の力はますます大きくなっていくの、あんたも分かるやろ」
 俺はよろめいて壁に背を付けた。息苦しい。心臓が痛いほど脈打つ。
 俺は……俺はどうすればいい? 魔法使いになりたいという、俺の夢は完全に潰えるのか?

 肩で息をしている内に、ふと過去のある事が頭を過った。
「魔鏡……それから……契約による混合魔法……」
「ん?」
「……魔鏡の呪いを……ファニィたちを守ろうとして、俺……吸収した……」
 俺が組合で初めてもらった仕事だ。古代文字の解読要員としてファニィたちに同行して、洞窟の奥にあった古い魔術師の研究室にあった魔鏡を砕き、そしてその魔力を俺はファニィたちを守るために自分の中へと取り込んだ。
「魔術の呪いを吸収したんか?」
「それしか手が無くて! 俺にはそれしかできなくて!」
 姉貴はコートから手を離し、俺に詰め寄ってきた。そして俺の襟首に手を突っ込んで服をこじ開け、俺の肩にある暗黒魔術の痣を見る。
「大きなっとる……」
「姉貴、俺……一度魔力の底上げのために、炎の魔神との契約による混合魔法も使った! どうすりゃいい? 俺、どうしたら……ッ!」
「アホ……何アホな事やってんの! 今すぐジーンに戻り! そんで多重封印してもろて、魔法使いは諦め!」
「嫌だ!」
 俺は思わず即答していた。姉貴が驚いて俺を見る。
「俺は、魔法使いになりたいんだ。それが俺が今までやってきた事の成果で、全てだから。ジーンにも……俺は帰りたくない」
 昨夜のファニィとのやり取りを思い出し、俺は駄々っ子のように首を振る。
「組合は俺を魔術師としてではなく、魔法使いとして雇ってくれたんだ! 俺はまだ組合に恩を返してない! 魔法使いとして、助けてもらった組合に恩を返してないんだ! それを途中で投げ出してジーンに逃げ帰り、挙げ句、魔法を取り上げられて生き永らえても、それは俺じゃない! 俺はタスク・カキネ! 炎の魔法しか使えない未熟な魔法使いだが、その俺を組合は拾ってくれたんだ!」

 姉貴はゆっくりと目を閉じ、小さく深呼吸した。
「……そう言うと……思たわ。あんたは」
 姉貴が腕の銀細工の腕輪をなぞる。
「あんたはもうジーンに戻って来おへん。そう思てた。あんたに再会した時から、あんたはもう自分の人生を見つけたんやと感じてたんや」
「……姉貴、ごめん。でも俺……このままじゃ、魔神の呪いで俺じゃなくなるんだろ?」
「そうや。それだけは変わらへん」
 姉貴がさっきから執拗に「ジーンに戻って親父とお袋から多重封印を」と言うには、おそらく姉貴単独ではその多重封印がかけられないからなんだろう。術者が複数で行う大掛かりな魔法もある。おそらく多重封印はそういったお大掛かりな魔法なんだ。
「もう金輪際、暗黒魔術を使わないでいたり、関わらないようにっていうのも駄目なのか?」
「……意味ないやろね。魔神を完全に封じる事以外は、ホンマ意味ないはずや」
 魔神を封じる事。つまりは魔神が魔術を使えないように、封印によって体内の魔力供給を完全にシャットダウンしてしまう事。
「でもそれだと俺は魔法の力を失うんだろ?」
「そうや。だからウチ、さっきコートニス君にお願いしたやろ。コートニス君がタスクを止めたってほしいって」
 突然名前が挙がり、コートが驚いたように姉貴を見上げた。天才児のコートでも、今までの俺と姉貴の会話は、内容が専門的過ぎて理解できていなかったらしい。
「え、あ……ぼ、僕……が? 魔法使い……じゃない、僕が……どうやってタスクさんを……?」
 姉貴が腕輪をしゃらんと鳴らした。
「魔術に対抗するには魔術しかあらへん」
 魔術に対抗するには魔術。その理屈は分かる。
 だが姉貴は何が言いたいんだ? この面子で魔術師なのは俺だけじゃないか。炎の魔神が原因で魔術師となった俺を、その力で封じるなんてできる訳がないじゃないか。自分で自分を殺す馬鹿がどこにいる。
「タスクの暗黒魔術に太刀打ちできるんは、対である純白魔術だけやろ? コートニス君、純白魔術師やんか」
「え……僕、が?」
「はぁ? コートお前、魔術師の痣なんかあったっけ?」
 魔法使いが魔法使いの魔力を感じ取れるように、俺には暗黒だろうが純白だろうが、魔術を扱える者の気配を感じ取る事ができる。エイミィの時も純白魔術の気配は聖刻という形ではっきり見えた。でもコートからはそんな気配は全くなかったはずなんだが……。
「タスク、気付いてへんかったんか? ウチにははっきり分かんのに」
 コートがパタパタと自分の体を叩いて痣を確認する。コートにも自覚症状がまるで無いらしい。そして長い袖を肘の辺りまでめくりあげると、そこには小さな羽根のような痣があった。
「あれ? 前までこんな所に何も……」
 俺はあっと声を上げ、コートの腕を掴んでその痣をまじまじと見た。
「聖刻の一部だ」
「一部?」
 コートが頬を染めて俺を見上げてくる。
「ああ。エイミィが純白魔術を使った時、聖刻が浮かび上がるんだが、これはその一部だ」
「エイミィちゃんて、さっき言うてた天使かいな?」
「ああ。多分……多分だけど、コートに純白魔術の力が宿ったのはつい最近だ。つまりこれは……エイミィが残した、エイミィの忘れ形見だ」
 エイミィは最期にコートにしがみ付いた。その時に自分の魔術の力をコートの中に残したとしたら、突然浮き出てきたこの痣の説明が付く。
 生まれつきでない魔術師だなんて初めて聞くが、他に説明しようがない。

「エイミィ……さんが……」
「自分を忘れてほしくなくてなのか、俺の事を見越してなのか、もしくはファニィの事を見越してなのかは今はもう分からない。だけどコートにこの痣があるという事は、コートは純白魔術が使えるという事だ」
「どういう理由かは分からへんけど、でも暗黒魔術に対抗できる純白魔術師が傍におるいうのは、タスクにとっては好都合やん。タスクがもし今後、炎の魔神に自我が食い潰されそうな事があっても、コートニス君の純白魔術で一時的にも暴走を止める事ができる。そやろ」
「……あ、ファニィさんを……エイミィさんが止めたような……事、ですか?」
 魔物化したファニィを、エイミィは純白魔術で抑え込んだ。エイミィは天使で、純白魔術のエキスパートだからあんな高等な魔術を容易くやってのけたが、コートは自覚すらまだしてないんだろ? 今から魔術を教え込むとなると、相当時間が必要なんじゃないだろうか。いくら天才児とはいえ、魔法や魔術の行使には得手不得手があるものだし。
「姉貴、コートに魔術の基礎を一から教えるのは、あまりに時間がかかり過ぎないか?」
「全部覚えろ言うてへんわ。あんたの魔神の暴走を食い止める術だけ教えるんやったら、そない時間かからんやん。コートニス君、それで構わんかな?」
「は、はいっ……! ぼ、僕でタスクさん、の……お役に……た、立てるなら」
 コートの表情が徐々に明るくなる。さっきまでの、完全に血の気の失せた死人みたいな顔とは全く正反対だ。
「よっしゃ。じゃあ魔神の封印術覚えるまではウチが世話したろ。コートニス君はお利口さんやし、可愛らしいし、教え甲斐ありそうやわ」
「ま、待てよ。姉貴は魔術師じゃないだろ。魔術の事、教えるなら俺が……」
「アホ。あんたに魔術の使い方教えたんは誰やったか思い出してみ」
「う……姉貴……です……」
 そうだった。ガキの時、魔術の力を持て余していた俺を、魔術師でもない姉貴が指南してくれたんだった。魔術師でなくても魔術の知識にも長けている。それが賢者というものだ。

 あれ? そういやあの魔鏡の依頼の時、もう一つ気になる事があったな。
「コート、お前本当にその痣、今までなかったのか?」
「は、はい……気付きません……で、した……けど……」
 魔鏡のあった部屋に入る時に入り口にかけられていた、ヘルバディオ時代の封印。『若き純潔者の生贄』が必要だったあの封印に対し、コートが触れただけで扉は開いた。若き純潔者はたいてい女子を示すはずなのに、男であるコートが触れただけで封印が解かれたという事は……。
「……コートには潜在的な純白魔術の素質があったのかもしれない」
 だとすればあの時、封印解除の純白魔術を無意識に発動していたのかもしれない。暗黒魔術で封じられていたあの扉が開いたという事実もある訳だし。
 きっとそうだ! 生まれつきでない魔術師なんて、やっぱり存在自体が矛盾している。潜在的な純白魔術師であったコートの能力を、エイミィが引き出したんだ。そうとしか考えられない。
「潜在的な? なんかの切っ掛けで魔術師になるっちゅう事か?」
「コートの場合はエイミィが能力を引き出したと考えられる。そうでなきゃ、今まで生まれつき能力を持った者しか魔術師になれないとされてきた理由や理屈が説明できない」
「なんかコートニス君に純白魔術師らしい予兆でもあったん?」
「ああ。無意識にだろうが、ヘルバディオ時代の魔術の封印を解いた」
「はぁん。そりゃ本物やね」
 姉貴は口元に手を当てて、うんうんと頷いた。
「ほな、魔術師の歴史も含めて講義したらんとな。なぁ、ウチが……コホン。私がコートニス君の先生するけど、それでいい?」
「は、はい。よろしくお願いします!」
 姉貴……口実作ってまだオウカに留まる気かよ。
「ジーンの賢者様がのんびり観光してていいのかよ」
 俺がボソッと呟くと、姉貴は俺の胸倉を掴んでニィと笑った。
「実弟の心配したってる優しい美しいお姉様の心配りに、あんたは水を差したいようやね。今ここでしばき倒したってもええねんで?」
「ごめんなさいお姉様。俺が悪かったです……」
 俺は素直におとなしく詫びた。
「棒読みが気に入らんけど、まぁ許しといたるわ」
 コートにとって純白魔術の痣は、エイミィとの唯一の思い出の形となって残り、それはきっと何より嬉しい彼女からのプレゼントとなるだろう。やらなくてはならない事ができたという事も、落ち込んでいたコートの今後の励みとなる。
 そして俺はエイミィが残してくれたコートの純白魔術によって、炎の魔神の呪いから救われる。
 全てをエイミィが見越していたのかは今となっては分からないが、でも結果は全て良い方へ転がり始めた。

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